【第240回】 親 指

合気道は技を練磨して精進する道であるが、精進するための技の練磨は容易ではないはずである。それ故、ただ稽古を続けていけばよいということではない。技の練磨とは、合気道の技を繰り返し稽古して、宇宙の営みの形に少しでも近づけていくことである。そして、技を精錬していくことによって、身体と精神(こころ)を宇宙と少しでも一体化するようにしていくことであろう。

宇宙の営みには、法則があるようだ。それ故、それに則った技にも、宇宙がつくった身体そのものにも、法則があるはずだ。もしそうだとすれば、技も身体もその法則に従って遣われなければならないことになる。

法則に則っているのか、どれぐらい法則に近づいているのかどうかを判断する手段の一つは、どれだけ、またどのように身体や技が遣われているかによるといえよう。

技がうまく掛けられないのは、身体とその遣い方に問題がある場合が多いようだ。例えば、手の指である。手の指が真っ直ぐに伸びてないこと、さらに技として機能していないことである。

指が曲がったり、縮んでいては、技はうまくできない。何故ならば、指が縮んでいることは、体幹からの力が指先まで来ないで、手首のあたりで止まっているため、指先に力が集まらず、技がうまく極まらないことになる。写真などで見ても分かるように、開祖をはじめ、上手な人の指はすらりとまっすぐに伸びている。(写真)

指が曲がったり縮んだりしている場合、問題になることがまだある。それは手(腕)を螺旋にうまく遣えないことである。うまい螺旋とは、武道的な働きがあるもので、掴んでいる相手の力を吸収したり、崩すことのできるのである。

手が螺旋を描くということは、手が「縦の円」を描くということである。前にも書いたが、合気道の円には「横の円」と「縦の円」があり、「横の円」は相手を導く円、「縦の円」は相手をくっつけたり、崩したりする円と考える。

曲がったり、縮んでいる指で「縦の円」を描くと、指が支点とならずに、手の平の真ん中を中心とする円しか描けず、子供が踊る「ギンギンギラギラ」の手となってしまったりするので、技には遣えない。

「縦の円」が武道として機能するためには、円を描くための中心(支点)を指に置かなければならない。支点として使われる指は、小指、中指、親指と言われるが、合気道の技で最も頻繁に遣われるのは「親指」であるといえよう。「親指」を中心にして手の平の小指側を反していくのである。そうすると小指側に力が集中してくるので、腕の外側(肘側)、肩甲骨、背中、腰が繋がってきて、体の表の力が遣えるようになる。「親指」を動かしたり、「親指」が縮んでいては、この力は遣えないので、力んでしまったり、手をばたばたさせる手捌きになったりすることになる。

「親指」はすっきり伸ばし、支点として遣い、そして手を螺旋で遣っていかなければならないだろう。逆半身片手取りからの転換法で、相手の手が離れたり、相手に抑えられてしまうのは、この「親指」のせいであるとも言えよう。

もちろん、また「小指」を支点として手の平を反す動きもある。例えば、典型的な基本技として「半身半立ち四方投げ」がある。相手に取らせた手を、まず上に上げるのではなく、下にちょっと落とさなければならないが、下ろす際に、その下ろす手の平の小指を支点にし「親指」側を内側に反していくと、相手はこちらの腹に結びついてくるはずである。日本の礼(おじぎ)の形である。これを「小指」を支点にせずに下げると、日本以外のお辞儀になってしまい、相手の手が離れたりしてうまくいかない。

「小指」を支点にして親指側を反すと、力は身体の裏(前側)に集まり、「親指」を支点として小指側を反して遣うと、力は身体の表(背側)に集まるという法則があるようである。そのためか、合気道の技は身体の表(背側)を遣うのが原則であるから、「親指」を支点として遣うことが多くなるのだろう。

しかし、他の「人差指」「中指」「薬指」も支点として遣う研究の稽古もすべきであろう。何か新しい発見があるのではないかと思う。