【第212回】 拍子

合気道は技を練磨して精進するが、そのために道場で技を掛け合う相対稽古をする。そして、技が少しでも効くように研鑽していくのである。技が効くためには、力と速さ(スピード)と拍子がなければならない。とりわけ初心者は、まだ真の技が遣えない訳だから、力と速さと拍子でやるほかないことになる。

力をつけるのは、諸手取り等で鍛錬稽古をしたり、鍛錬棒などを振れ、力が自然についてくるし、速さ(スピード)もその気になれば、若いうちならついてくるはずである。受けをする時に頑張らず、止まらずに素直に取り、二人でお互いに気持ちを合わせて動いていけば、どんどん速く動けるようになるはずである。

しかし、その速さはまだ真の合気道の速さではない。動きが直線的で単調であるからである。この速さで技は効かないものだ。合気道の速さは、直線的なものではなく、螺旋の速さといえるだろう。円の大きな動きから点に収束する螺旋の軌跡である。

この時間的そして空間的な螺旋の動きで速さを出すには、拍子が必要である。そして、この拍子には、意識(心)と息と体遣いが重要である。つまり、技を掛けるにあたっての拍子には、意識(心)の拍子、息の拍子、体の拍子があるだろう。この内の一つでも上手く遣えなければ、上手な拍子にはならず、螺旋の軌跡の動きもできないことになり、その技は効かないことになるだろう。

意識の拍子のためには、相手をどうこうしようとか考えず、相手にとらわれず、ただ螺旋のイメージを持つことである。

息の拍子のための息は、武道の息遣いである「生産び(いくむすび)」をすることと、円い螺旋の息遣いということができるだろう。ハアハア、ゼエゼエの息遣いや直線的な息では、体の動きが止まってしまう。

体の拍子は、体を螺旋で遣うことである。体を螺旋に遣うということは、体を丸太棒のように一本調子で遣わないことであり、足と腰と手をバラバラに遣わないで、連動して遣い、体は反転々々して遣うことである。そうしないと拍子が外れて調子っぱずれになってしまう。

足が居着いて、止まって技を掛けるような稽古をしては、拍子外れどころか、拍子抜けである。拍子のある体をつくるためにも、居着いた稽古を避けなければならない。

意識(心)の拍子、息の拍子、体の拍子を研究し、身につけなければならない。