【第161回】 合気杖
合気道では、剣を持てば合気剣、杖を持てば合気杖になるといわれる。剣道の剣や杖道の杖とは違うのである。神道夢想流などの杖道の形を合気道の道場でやる者を見かけるが、合気道との繋がりがなければやっても意味がない。もし杖道の杖をやりたいのなら、杖の道場に習いに行けばよいのである。たとえ形だけ真似するのなら杖道の人に笑われるだろうし、かえって失礼ではないだろうか。
合気道の稽古を2、3年ほどやると、合気道の基本技の型をほぼ覚えるので、多くの人は剣や杖に興味を持つようになる。
剣や杖に興味をもつには、幾つかの理由が考えられる。一つは昇段試験にもある武器取りで、受けが武器を使って攻撃するので、武器取りの受けと取りの立場として剣や杖の武器の扱いを学ぶため。二つ目は、数百年に亘って使用されてきた武器に対する憧憬と、そのような武器を通して昔の武人たちに繋がりたいとのロマン。三つ目は、映画やテレビの殺陣などで遣われているので、自分もやってみたくなる。四つ目は、体を鍛えるための得物として遣う。五つ目は、合気道のわざ(技と業)を得物をもって具現化したい、などではないだろうか。
合気道の基本は体術であるので、杖を遣っても合気道の技と動きが体術のようにできなければならないことになる。それ故、杖を遣う場合には、素手でやるより体術がレベルアップし、技が上達するものでなければならない。実際、杖を使った稽古には優れた点が沢山あるので、高段者などは杖を遣った稽古もすべきであると考える。
合気杖は、合気の理で遣わなければならない。つまり、合気道の技(体術)と合気の理合に則った杖の扱いをしなければならない。
そこで合気の杖とはどのようなものでなければならないかを考えてみたいと思う:
- 体術で技を掛けるとき、体、手、足は居ついてはならないので、杖も体、手足と共に動き、決して止まらない。
- 体術では手と足と体が連動し、呼吸(いき)と心で動くが、合気杖はこれに杖が加わった動きになる。
- 体術で手は止まることなく旋回するように、杖も常に旋回(内旋外旋)して遣わなければならない。杖はこの旋回により刀で切り落とされ難いので、体術で手を旋回する意味がより明確になる。
- 体術で手と足は所謂ナンバで、つまり同じ側で遣う。杖も手と足はほとんど常に同じ側で遣う。手と足をナンバで遣う練習には、素手よりも杖を持った稽古の方が学びやすい。
- 体術でも陰から陽、陽から陰を繰り返すが、杖の基本的動きもこの陰陽の変化である。杖は出たら引く、引いたら出る、攻めたら防御する等、陰陽で動く。
体術で手は体の前面で中心に寄せるよう遣うが、杖も体の前面で遣わなければならない。
- 体術で手は自分の中心で遣うのが原則であるが、杖も自分の中心で使わなければならない。大概の場合は、左右どちらかの手か、または両手の中間が体の中心にくるはずである。
- 体術では手先を先に動かすのではなく、体の中心の腰から動かすが、杖も腰から遣わなければならない。体術と同様、動く順序は腰、足、手となる。
合気杖を遣うためには、まず体術、つまり技があるレベル以上で出来なければ、杖を扱うのは難しいだろう。また基本的な杖遣いができなければならないだろう。
基本的な杖の稽古として、突く、打つを繰り返して稽古することである。最初の内は、打つのはそう難しくないが、突くのは難しいものだ。杖が手の内で滑らないからである。杖が手の内で滑るようになるには少し時間がかかるだろう。杖が滑るようになれば、手の脂で杖に照りがでてくるようになる。
杖の稽古は、混んでいる道場でやることではないだろうから、一人での自主稽古になる。稽古にあたって注意することは、杖は木製であり、鋼の刀と戦うものなので、刃に切られないように扱わなければならないということである。その為に、杖は反転々々と旋回して使わなければならない。また、敵である相手に杖の長さや、相手との距離を悟られないようにするためにも、杖の動きが点となるように突いたり振ることである。
合気杖は、体術に杖を持ったもので、杖を持つことによって体術が更に修練される修練法でもある。
合気の杖に慣れてくると、杖を持たなくとも杖を持ったときのような動き(業)が出来るようになり、体が遣えるようになる。つまり、杖を持っても持たなくとも、合気のわざ(技と)業になるはずである。これが合気杖というのではないか思う。
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