【第159回】 柔軟な体

合気の道は、技を磨きながら進むものだが、技が上手く使えるためには体の出来が大事なようだ。いわゆる合気の体というものがある程度出来ていないと、合気の技は上手く使えないようである。もちろん、合気の体が出来ていなくとも、それ相応には出来るが、それはどこか違うものになってしまうことになる。

合気道では技の稽古を通して合気の体をつくるわけだが、初めから合気の体は出来ていないので、先ず合気の体をつくることを意識して稽古をする必要がある。ただ漫然と稽古をしていたのでは体は出来ないか、偏った体になってしまいかねない。

合気の体とよく言われているが、合気の体はどんな体かというと、その定義はない。ひとそれぞれイメージしているに過ぎないようだ。よく言われるのは、「手首と腕が太く、まるい。首がしっかりしている。関節が丈夫。等々」であろう。

人は各自が理想的な合気の体をいろいろなイメージでもっていて、多少は異なるだろうが、皆が共通するイメージの一つに「剛・柔・粘」の体というのがあると思う。「剛・柔・粘」の体というのは、しっかりして安定性があり、鋼鉄のように硬くもなり、またゴムのような柔軟な弾力性もあり、粘性のある体ということだろう。このためには、筋肉が剛くても弾力的でなければならないし、また関節も自由に動けなければならない。

合気道の稽古は、相対稽古で技を掛けたり、受けをとって練磨するが、しっかりした稽古をすれば「剛・柔・粘」の体ができるはずである。その体が出来ないのは、出来るような稽古をしてないからとも言えるだろう。

合気道の技はほとんどが順技であって、逆技ではない。従って、受けをとっても壊れにくいはずなので、極限まで耐える稽古をすれば、合気の体は出来るはずである。従って、どこまで耐えることができるかで、どれだけ合気の体が出来るかと言うことになる。

ただし、耐えるという強い意志だけでは、筋肉も関節も伸びず、柔らかくならず、時として縮んで硬くなってしまう。呼吸が大事である。筋肉や関節を伸ばし、柔らかくするには、息を入れ(吸気)なければならない。息を吐くと体は硬くなり、タイミングが悪ければ筋や筋肉を傷つけることになる。

合気道で体を考える上で中心になるのは関節と筋肉ではないだろうか。体の要所には関節とそれを動かす筋肉があり、体を支え、内蔵を保護し、そして、体が機能できるように出来ている。この関節と筋肉のバランスは摩訶不思議であり、そして人間が活動する上でこれ以上のバランスは考えられない。

ここでいうバランスとは、関節と筋肉、関節を構成する骨、関節同士の働き等のバランスである。もし人間の体を柔軟にしたいのなら、ナマコのように関節をなくして筋肉だけにすればよかったろうし、またもし体を極限まで強固にしたいのなら、カブトガニのように体を関節ですべて覆ってしまえばいいわけだが、人間はナマコやカブトガニのような体にならず、何かの使命を果たすためなのか、関節と筋肉のバランスが非のうちどころなく整っているように思える。

これらの関節と筋肉に、本来の動きが出来るようにカスを取ってやれば、相当のことができるだろう。カスが溜まっていて関節が自由に動けなければ、技もその程度にしか遣えないはずである。手の指の先から、手首、肘、肩、肩甲骨、股関節、腰、膝、足首などを、少しでも自由に動くようにしなければならない。そのためには、二教や三教で抑えられても、自分の腕や肩の関節を伸ばす鍛錬と考えて、なるべく耐えなければならない。

合気道の相対稽古でも自主稽古でも、受けを取るときには少しでも自分の体を柔軟にするよう極限まで耐え、また取りの場合は、相手の体が少しでも柔軟になるように技を掛け、締めたり抑えるようにすべきであろう。これも合気道のモットーである「愛」である。