【第156回】 胸

合気道では、「呼吸」が大事である。呼吸を鍛錬するために「呼吸法」という鍛錬法があることでも、それはわかる。しかも、合気道の技は、この「呼吸法」が出来る程度にしかできないともいわれるくらい大事である。諸手取りの呼吸法、両手取りの座技呼吸法などがきちっと出来なければ、入身投げも、四方投げも、一教や二教も、その程度にしか出来ないということである。

「呼吸法」というのは、呼吸力の養成法である。相手を倒したり、抑えつける技ではない。これを取り違えて、「呼吸法」を技と区別せずに投げたり抑えたりすれば、本来の鍛錬法とは別なものになってしまうことになり、稽古の意味がなくなる。

「呼吸」については、『上達の秘訣 第155回 呼吸』に書いたように、呼吸は
1)体をつくる
2)体を強固で柔軟にする
3)体の部位と部位を結びつける
4)体と心をつなぐ
5)人と人との体を引力でくっつける
6)人の心を同調させる
などの働きがある。この呼吸が及ぼす働きが、呼吸力といえよう。従って、これらの機能が少しでも高度化するように「呼吸」を鍛錬し、呼吸力をつけなければならないことになる。

「呼吸」は、皮膚呼吸もあるが、通常は口や鼻から息を吸う。これは武道家でない一般の人もやっていることだが、上述の機能である呼吸力を高めるためには、通常ではない、一般とは異なる呼吸をしなければならないはずである。

開祖は理想的な呼吸を、「弓を気一杯に引っ張ると同じに、真空の気をいっぱいに五体に吸い込み、清らかにならなければなりません。清らかなれば、真空の気がいちはやく五体の細胞より入って五臓六腑に食い入る」と言われている。つまり、「弓を一杯に引っ張るときのように」呼吸しなさいといわれているのである。弓を引っ張るときは、胸を膨らませ十分息を入れ、それと同時に下腹を引き締め、そこに息を食い込ませていくのである。(写真)

通常、胸で呼吸をするのは胸式呼吸といわれ、武道では忌み嫌われるものだが、腹式呼吸が出来て、十分体ができていれば、腹式呼吸だけの場合より更に多くの息を吸い込むことができるので、胸を開いた胸式呼吸で吸い込んだ息と宇宙のエネルギーを体の隅々まで送り込めば、体の隅々までエネルギーで満たされることになる。それによって足は床にしっかりと張り付き、下半身は安定する。胸を開いて息を入れれば入れるほど腹が締まり、下半身が安定するはずである。そして、足底からエネルギーが胸に戻ってくる。

合気道の技の稽古や呼吸法は、「弓を引くとき」の呼吸、息遣いで稽古をしなければならないようだ。この稽古によって胸が開き、より多くの息が入るようになり、呼吸力も増すだろう。また剣の素振り(写真上)でも、鍛錬棒を振るにも、振り上げて振り下ろすまでは、弓を引くように、胸いっぱい息を入れてやるとよい。

この弓の息使いの重要さがよくわかるものに、「四股」がある。胸を開いて胸一杯に息を入れて四股を踏むと、下半身がしっかりし体が安定するが、胸に息を詰めて四股を踏むとふらついてしまう。また、開祖が眩しくないと言われて見ていたお日様も、この胸を開いて息を吸い込み、下腹に息を送り込みながら見ると、お日様の眩しさが取れ、赤い丸として見える。

胸を大きく開くためには、胸を取り巻く筋肉や骨格を柔軟にしなければならない。胸鎖関節、肩甲骨、菱形筋、広背筋などである。合気道はまず体をつくるというのは、こういうことをいっているのだろう。硬ければ呼吸も深くできないわけだから、まずは胸の周りの筋肉と骨を伸ばしたり、カスをとってやらなければならないことになる。また腹式呼吸で骨盤横隔膜と呼吸横隔膜を活性化させ、腹部を鍛えておかなければならない。

ものには順序があり、やらなければならないことがあるようだ。やることをやらなかったり、順序を間違えれば先には進めない。また、以前は正しかったことも、それとは逆や反対にやらなければならないようになってくることもある。例えば、初めの内は技を掛ける時や柔軟体操で息を吐いてやるものだが、息を吸ってやる吸気でやるようになってきたり、腹式呼吸が胸式呼吸に変わってくるのである。もしかすると、それもまた変わるのかもしれない。世の中には絶対ということはない、ということがよく分かる。