【第152回】 体に意識を入れる

合気道の道を進むために技を練磨するが、よほど技を深く探求していかないと道に繋がってこない。

合気道には試合がないし、勝負するものでもないので、技の型を覚えれば技が出来たような気になり、合気道が分かったように思うようであるが、技の型を覚えてからが技の練磨へのスタートになるといえる。

技の型を覚えたぐらいでは、技の上っ面をやっているだけで、技の意味すること、技が語りかけていることが分からず、合気の道に導かれることもなく、進むことも出来ない。技は深く探求し、技のこころを分かるようにしなければならない。

稽古はただ漫然とやっていては得るものは少ない。技が少しでも上達するよう、体と気持ち(魂魄)を最大限に生かす工夫をしてあ、稽古をしなければならない。

体と気持ち(魂魄)を最大限に生かすためには、体と気持ちが一緒に動かなければならない。これは自分ではなかなか気がつかないものだが、体は思ったようには動いていないものなのである。手を中心線上に置こうと思っても、中心を外れるし、手を折らないよう真っすぐにしなければ駄目だといっても、なかなかできないのである。

合気道の稽古は肉体と精神の魂魄が絡み合って技を練っていくが、魂(精神)が魄(肉体)の上に来なければならないとされる。つまり、魂が魄をコントロールするのがよいとされている。従って、技を掛けるにあたって、手足、胸肩、足腰などの体を遣う場合、体を漠然と遣うのではなく、気持ち(魂)で動かさなければならない。体を気持ちで動かすのが難しければ、少なくともその体の部分に気持ちを入れることである。

名人、達人になれば、遣う体の部分を意識しなくてもよいだろうが、初心者が名人、達人の真似をしてもできるわけがない。やるべきことを段階を追ってやるしかない。

はじめは、手先、指先に意識を入れ、手先、指先が真っすぐに伸び、力が集中するようにすべきである。これだけでも、技の掛かり方が違ってくる。

特に、「支点」「接点」「中心」「軸」に意識をいれて稽古をすれば、技も効くようになるし、体ができてくる。「支点」というのは、相手を崩したり倒したりする部位の「接点」を回転させるところであり、動かしてならないところである。この「支点」を意識し、「接点」に十分力が集中して、相手にくっつくよう気持ちを入れるようにしなければならない。前にも紹介したが、片手取りの転換法、横面打ちの捌きなどが分かり易い稽古法だろう。

「中心」というのは、まず腰腹である。末端の手足は体の中心が動いた結果、動かなければならないので、手足の末端を遣う場合は、末端の接点に意識を入れると共に、「中心」に意識を入れなければならないことになる。

もうひとつの「中心」は、中心軸である。天と地の縦軸である。これがしっかり意識できないと、中心が不安定になり、遣う手足の横軸との摩擦連動ができなくなる。宇宙の運行に即した螺旋の働きができるよう、意識をいれ、しっかりした「中心」をつくらなければならない。

さらに、もうひとつの「軸」がある。足の軸である。立ったときのひとの重心は、両足と体の中心との3つの軸だろう。技を掛けるにあたって、体重をより有効に遣うためには、この中心軸を片方の足の軸に合わせるのがよい。一本の軸になれば体重は分散されず、体重を最も有効に遣えることになる。この「軸」がふらつかないよう、一本の軸に意識をいれるとよい。意識を入れないと、膝から先に足が出たり、足と体と手がバラバラになってしまう。

意識を入れるが、入れた部位を見ないこと、捉われないことも大事である。意識して捉われない。容易ではない。もう一人の自分が見守り、修正し、改善していくしかないだろう。