【第134回】 腹と結ぶ

合気道で技を掛けるに遣う主なところは、手と足である。技は足で掛けるといってもよいほどで、足は大事であるが、人はどうしても手を主に動かすので、今回は手を重点的に考えてみたいと思う。

人間は手で作業する。無意識の内に、脳からの指令によって手を動かして、遣っている。日常生活においては、手をどう遣おうとあまり問題はないが、武道においては、その日常的な手遣いが通用しない。日常生活では動きを邪魔するものがなく、好きなように自由に動かすことができるが、合気道のような武道においては、相手がいて、その相手に手を抑えたり、ひねられたりと自由な動きを邪魔されるからである。その邪魔や抵抗を乗り越えて手を遣うためには、そのための訓練がいる。

合気道の相対(あいたい)稽古で技をかける場合、どうしても日常の手の遣い方になりがちである。その結果、技が上手く掛からず、争いになったり、体を痛めてしまうことになる。それでは、日常の手と合気道の手とどこが違わなければならないかというと、その最大のものとして、手と腹が結んでいるかどうか、どれだけしっかり結んでいるかということになるだろう。

日常生活では、手と腹が結んでいなくとも事は足りるが、合気道で手と腹がしっかり結んでいなければ、技は効かない。二教裏が効かないのも、小手返しが効かないのも、最大の問題は手と腹が結んでいないからと言ってもよいだろう。何故手と腹が結ばれなければならないかというと、仕事をする手に腹からの力が伝わらないからである。手だけの力など、たかが知れている。日常生活においては十分かもしれないが、相手のある武道では不十分なのである。相手も手の力、こちらも手の力では、同質の力で互角になってしまう。相手の手の力より強い力、異質の力を遣わなければならないのである。それは腹(体幹)からの力である。

手と腹が結べば、腹を動かすことによって、腹の力がそのまま手に伝わるので、手は大きな仕事ができるわけである。これを腹で仕事をするというのだろう。 手と腹がしっかり連結していれば、手を抑えている相手も、こちらの腹を抑えていることになり、力の量も質も予想とは違い、争う気持ちが失せてしまうものだ。

手と腹を結ぶ稽古は、合気道のどんな技の型稽古をしてもできるはずであるが、稽古しやすく、その理合が分かり易い技がある。その技と鍛錬法の幾つかを挙げてみる。

まず、二教裏、手首返しがよい。特に、これを座技でやるとよい。ここで注意しなければならないのは、意識を変えることである。相手をやっつけようとする気持ちを捨てること、そして、これは自分のための鍛錬であると思うことである。相手が強くても弱くても関係なく、この稽古を通して自分が少しでも上達しようというするつもりでやらなければならない。

具体的に言うと、まず自分の両手で相手の手首を力一杯絞る。特に小指と薬指と親指に力を集中して左右バランスが取れるよう、脇を締めて絞るのである。これが十分出来るようになったら、絞り込んでいる相手の手の甲を自分の肩(または胸)に密着させ、手を動かさずに肩(または胸)で拍子をとるようにすると、絞っている手と腹が結んでくるようになる。手と腹が結べば、相手の反応からもわかるが、自分自身でも結んだことが分かるはずだ。また第三者が外から見ていても腹と結んでいることが分かり、気持ちがよいものだ。

次に、呼吸法で稽古をするのがよいだろう。呼吸法というのは技ではないが、技を効かすための業や力の鍛錬のために重要である。その内、座技呼吸法は手と腹を結ぶのに最適の稽古法と言えよう。この座技呼吸法は手と腹が結ばず、ばらばらに遣うと、決して上手くいかない。手と腹がしっかり結び、腹の力(実際は腰からの力)が十分に手に伝わるようにしなければならない。前述の二教裏もそうだが、座技では腹が床(地)近いこともあり、立っているよりも腹や腰の力を活用しやすいという長所がある。

一般的に、相手が手で持ってくる技の稽古は、腹と手を結ぶ稽古をしやすい。片手取り、両手取り、諸手取り、そしてこの「後取り」などである。これらの攻めは相手がしっかり持ってくれば、本来は手さばきだけでは容易には出来ないはずであり、腹と結んで腹でやらなければならないことになる。

これが出来るようになったら、今度は正面打ちや横面内、突きでも腹と結んだ手で捌けるようにしていかなければならない。この場合、相手との接点は狭いし、瞬時なので、よほどしっかり持たせての鍛錬で自得していないと、手と腹がばらばらになってしまい、腹の力が手に伝わらないものである。例えば、「正面打ち入身投げ」「突きの小手返し」などはその典型的な技である。逆にいうと、この技がちゃんと出来れば、手と腹が結べたといえるかも知れない。