【第112回】 目を鍛える

人には目があるから、目で見ることで情報を得ている。だが、目は思っているようには真面目に働いていないように思われる。我々は目にした状況をよく把握した上で判断し、自由な意思で行動していると思っているが、それは思い込みのようである。

目で見るとはどういうことかというと、「目に入った情景は網膜に映り、後頭部にある脳の一次視覚野に投射される。ただこの段階ではまだ<見た>とは意識できません。情報を受けた一次視覚野が活発に活動して脳の様々な領域に情報が伝わり、それが再び戻ってきて<見た>と意識される、と考えられます。」(東大大学院医学系研究科 坂井克之准教授)ということである。

目に情景が入り、一次視覚野に投射され、それが脳に伝わり、脳から戻って<見た>までは意外と時間がかかるようである。武道や武術の「わざ」は、この目の<見た>時間差を利用すると言えるかも知れない。

また、目は見ているはずなのに、見ていないものでもあるという。見たものが脳に伝わらないと、意識できないはずだが、意識に上がらなくとも目に映った情報に脳は反応するという。合気道で相手を崩したり、不安定にするのは、この脳の反応を使うことになるだろう。

「見た意識がないほどの短時間、何かを見せ、それで行動が変化することは『サブリミナル効果』と呼ばれる。見えた時は相手は考えて行動を選べるが、見えないと、すべての過程が脳で無意識のうちに進行するため、自分の行動を制御できない状況になる。」(同上)ということだが、これは相手に技を掛けた場合にも当てはまることである。打ったり突いたりされたとき、入身で相手の死角に入ると、相手は打ったり、突いたまま、金縛りになったように止まってしまうのは、このよううなことからくるのだろう。

「私たちは視野に入った情景のうち、ホンのわずかしか見えていないんです。 人は課題を与えられることでそれがシグナル(信号)となり、他はノイズ(雑音)になる。脳は気づく必要のある情報には気づき、気づく必要のない情報には気づかない。私たちは目にした情景をよく把握した上で判断し、自由な意思で行動していると思っている。しかし、実はそう思い込んでいるだけかも知れない。」(東大大学院人文社会系研究科 横澤一彦教授)

これらのことからも、合気道の修行を続けていくにあたって、目を鍛えなければならないだろう。さらに、目で見ることに注意を払う稽古もしなければならない。

まずは、意識を入れて見ることであろう。じっと見る、穴の開くほど見る、とはそういう意味があるのだろう。また、見るものがノイズにならないためには、課題を持って見ることである。また、目に情景が入り、一次視覚野に投射され、それが脳に伝わり、脳から戻って<見た>までの時間差を小さくする訓練をすることであろう。そのためには、技を繰り返し稽古することであろう。

参考文献 朝日新聞日曜版 2008.6.1.