【第93回】 十字

合気道の相対稽古で技を掛け合っていると、技が上手く効いたり、効かなかったりする。初心者など弱い相手には技をどうやっても効くだろうし、強い相手にはなかなか効かないものである。しかし理に適った技を掛けると、相手が倒れないまでも、参ったと思うし、自分も上手くいったと思うものである。その理合の一つに、「十字」に技を掛けるということがある。

合気道の技が上手く決まるときは、ほとんどの場合十字になるといえる。一教から五教、四方投げ、小手返し、入身投げでも十字になっている。但し十字というのは、手とか体幹などからなる物質的な十字ではなく、「気」の十字である。もちろん「気」の十字のところには、体や体の部分が十字の一部の直角を形成する。従って、この直角が気の十字の顕界(みえるところ)の部分であり、気の十字を交流させるところということになる。ここで直角が崩れてしまうと、十字にならず、気が流れないことになるので、技が効かないということになる。

十字にならないと、どの技も上手くかからないが、それが分かる典型的なものに、肘きめ、十字がらみ、腰投げ、回転投げがある。肘ぎめは、相手の肘の処に自分の腕を直角にのせるようにしなければならないし、十字がらみは肘のところで相手の腕を直角に当てなければならない。腰投げは相手の体幹に自分の体幹が直角(十字)になるようにのせなければ技にならない。回転投げは相手の腕が体幹と頭を結んだ線に直角(十字)にならなければ、相手は回転してくれない。

このほか四方投げでも相手と十字にならないと相手は崩れないし、小手返しの相手の手首も十字(直角)にしないと小手は返らず、「手首虐め」になってしまって小手返しにはならない。容易に出来てもよさそうな「片手取り一教」でも、相手の腕と体の一直線上に対し、自分の中心線が十字にならないと決まらないものだ。

開祖は、「十字つまり合気である」といわれている。十字とは、天地の縦の線と左右の横の線である。立った姿も十字になっている。腕を水平に伸ばせばもっと分かりやすい。また両脚の天盤と地盤も横に水平となる。合気道はこの姿で三角法で動けばいい。つまりこの十字の形(気の形)を崩してはいけないのである。それ故、体を捻ることは厳禁である。

十字である天之浮橋は、火と水の交流、むすびであるともいう。開祖は、「天火水地の十字の交流によって生みだされる言霊の響きによって宇宙万物が生成されたのであり、それに習うことが合気の道なのである。」ともいわれた。

十字は合気道にとって重要ということよりも、前述のように合気道そのものといわれている。開祖の道歌(下記参照)には、「合気道」を「十字道」(じゅうじどう)とか「合気十」(あいきどう)と表現されていることからもわかる。十字の道を究めよう。