【第91回】 バランス

何事もバランスが大切である。前後、左右、上下、表裏、陰陽、あるいは肉体と精神、科学・技術と叡智、物質とこころ等々、すべてにおいてバランスが取れていないといい仕事はできないだけでなく、害をもたらす。例えば、科学と技術はすさましいばかりの進歩をしたのに、これを使う人間の叡智がそれについていけないため、本来、人間のためになるはずの科学と技術がまだまだ多くの場合に、人間に災いをもたらす方向に利用されている。原爆などの兵器類はその典型である。

また、お金や財産は沢山あるにこしたことはないが、それに見合った精神(こころ)をもっていないと、モノに自分が振り回されてしまい、大事なものを見失うことになる。武道でも力があるのはいいのだが、その力を使いこなすだけの精神(こころ)をもっていなければ、上手な「わざ」を使うことはできないだけでなく、社会に害を及ぼしかねない。合気道における「魄」と「魂」との関係である。

合気道では、本来引くだけとか、押すだけとかの一方的な力は使わないし、片方だけを強調するような思想もない。合気道の「わざ」(技と業)は、魂魄相合わさったもので、陰陽、呼吸力、締めと緩み等相反するものでできている。合気道では、この相反するもののバランスが大事である。片方だけがどんなに強くとも、合気の力と「わざ」は出ないのである。例えば、陰陽のバランスの大切さが分かり易いのは二教の裏技、手首捻りであろう。相手の手首を両手で絞るが、両手の絞りのバランスがとれていないと、この技は効かない。左右の手の絞りのバランスが取れて、はじめて効いてくる。

呼吸力もバランスであるが、呼吸力とは何かがわからなければ、バランスもとれず、呼吸力の養成の稽古もできない。呼吸力というのは、遠心力と求心力を併せ持った力と考えられる。従って、呼吸力も遠心力と求心力のバランスが取れていなければならない。座技呼吸法で、持たれている手を出しすぎると、遠心力が強すぎることになる。その場合は、求心力を養成してバランスをとるようにしなければならない。遠心力と求心力のバランスが取れたゼロのところは、一見「静」であるが、そこには強力なエネルギーが出来ている。それ故、相手をくっつけて、自由にできるのである。

次に、締めと緩みのバランスである。若いころは体をつくるにあたって、体の各部を締める稽古が中心になるが、締める稽古だけをしていると、筋肉はついても体が硬くなり、迅速に動けなくなる。それ故、今度は緩みのための稽古をしなければならない。それによって、筋肉や体のバランスがとれて迅速な動き、勝速日になる。開祖をはじめ、名人達人たちは強靭な体をもっていたが、その一方では柔らかくて、柔軟性のある筋肉をもっていた。筋肉をつけてもカチカチの筋肉ではいい仕事は出来ないし、体を痛めてしまう。緩んでいるだけでも駄目だが、締まっているだけでもだめなのである。そのような両面をもち、締めと緩みが自由に使える、バランスのとれた体にならなければならない。

さらに、バランスの取り方には、陰陽、呼吸力、締めと緩み等、二つの相反するもののバランスだけではなく、心技体等、三つ以上のもののバランスを取ることも必要である。合気道ではバランスの取れた姿を、△〇□で表していると思う。合気道はこの究極的なバランスの取れた形をイメージし、バランスの取れた「わざ」の稽古をし、バランスが取れた人間をつくりあげる「道」とも言えるのではないだろうか。