【第82回】 合気道は禊ぎ(みそぎ)

開祖は、「合気道は禊ぎである」とよく言われていた。はじめは、汗をかき、水分を沢山とることで新陳代謝もいいのだから、これが禊ぎだろうと漠然と考えていた。勿論ひとの体は体液がきれいになれば健康になるといわれるので、これも間違いではないだろう。

禊ぎ(みそぎ)というのは、神道では、身を清めることで、罪(つみ)・穢れ(けがれ)を祓うことである。「つみ」とは生きていくうちに溜まったカス、「けがれ」とは「気枯れ」と言われる。

医学博士であり、春日大社の宮司である葉室頼昭氏は著書「神道と日本人」(春秋社)の中で、「人間の体も水と同じで、どんな病気が来ようと、もともとはすばらしい体であり、それに罪・穢という異物がくっついているだけなのだから、それを消せばもとの体が出てくると考える。そして、これを行なうのが祓いです。」 氏によれば、このような異物がくっついて体を覆い隠す(つみ)のは「我」であるという。我欲があるために罪・穢れ、そして病気、悩み、悲しみがくるのであるから、我欲を祓うということが「祓い」であり「禊ぎ」になるのだろう。

「すべての邪気を、天授の真理によって禊をし、地上に平和をもたらすこと。これが正しい意味の武の道と呼ぶ」と開祖は言われている。邪気(罪・穢れ)を禊ぎし、地上平和がくるように稽古をしなければならないということである。

禊ぎの合気の修行をするためには、我欲をなくさなければならないことになる。相手を投げたり、押さえたり、相手をどうこうするというのではなく、自分自身を禊ぐために修練しなければならない。人間を対象にして修練するのではなく、「天授の真理」に則ってやらなければならない。そうすれば「地上に平和をもたらす」道が開けるのではないだろうか。我欲を捨てた禊ぎの稽古をしていきたいものである。