【第74回】 道理を見つけ、体で実現

相手を倒したり倒されたりして稽古をしていると、上手くいったり、いかなかったりする。相手が上手く倒れてくれるとうれしいもので、自分は上手くなったと思うものだ。特に、初心者のうちはそうだ。しかし、人はそう簡単には倒れないものであるから、よほどのことがなければ、相手が協力して倒れてくれたと思った方がいい。つまり、初心者の内は、相手によって、つまり相手が受身をどのように取ってくれるかによって、上手く倒せたり倒せなかったりすることになる。

しかし、高段者になれば、どんな相手も倒せるように研究しなければならない。自分より力がないもの、小柄なものだけしか倒せないようではいけない。かって私もそういう時代はあった。故有川師範の時間が終わって、師範から「今日の稽古はどうだった」と聞かれたので、「今日は大柄な外人とやったので、思うようにできませんでした」と言ったら、師範は「(相手の)大小など関係ない。そんなことを言っているようでは、まだまだだな」と言われた。その時は、相手はでかくて力が強い訳だから、倒すのは大変なはずなのに、何故なのか、師範の意味することが分からなかった。

小さなものが大きなものを制することができるようになることは、武道の一つの素晴らしさである。勿論、ただ稽古をやっていれば小さいもの(身体及び力)が大きいものを制するようになれるわけではない。大きいものが小さいものと同じように稽古をすれば、その優位性は大きいものの方に残る。

優位に立つためには、いかに合気の道を深く理解するか、が大事である。さらにその道理をいかに体の上で分かり、実現する修練をするか、ということになる。これには体の大小など関係ない。

技をかける場合は、たいていの場合手を使うが、手の力だけに頼って手を使えば、腕の太い、腕力のある方が強い。だが、身体、腰の力を手に通して使えば、太い腕の力にも負けないはずである。故有川師範は、「どんなに太い腕でも、胴体より太い腕はない」と言われていた。

合気新聞(54号)で開祖は、「この道理を体の上に分かり実現しなければならぬ。それがすなわち技の稽古である。」と書かれている。道理は無限にあるだろうが、それを一つでも多くを見つけ、それを体の上で実現していかなければならない。