【第660回】  気は火と水の交流で

気の挑戦をしている。難関である。見えないし、重さも感じられないので、これが気なのかどうかが判明しない。しかし、気の関門を突破しなければ、魄の稽古から魂の稽古に変わることはできない。大先生は、「気は力の本であるから、最初は充分に気を練っていただきたい」(合気神髄p132)と言われているのである。また、後で述べるが、気が分からなければ、魂が分からないようなのである。何としても気を理解し、そして身につけていかなければならない。

まだ、気への挑戦は始めたばかりなので、目立った成果はないが、幾つかの事が分かってきた。
気の挑戦は、理論と実践でやらなければならないと考える。
理論での挑戦は、主に大先生の『武産合気』『合気神髄』での研究である。気に関する大先生の教えを研究することである。そしてその理論を形稽古などで実践していくのである。

気に関して、これまで次のような事が分かった:(順不同)

確かに気は深淵で難しいが、ますます大事な意味と役割があることが分かってくる。
今後も、理論での挑戦を続けて行かなければならない。

次に、気の実践での挑戦である。合気道の技の錬磨においての気の研究である。
これまでの相対稽古での気を出すための研究を書いてみることにする。
呼吸法などで、相手に手を取らせる際、己の手を出し、相手に取らせるが、相手の手と結んだ瞬間、手先を伸ばし、そして手首を支点に支点を動かさずに腕の筋肉を肩の方に引く。つまり、手首を支点にして、手先の方向と肩の方向の二方向に気が流れることになる。そうすると持たせている手に、先述の「気が昇って身中に火が燃え、霊気が満ちてくる」となり、ここに満ちるのが気ということになると考える。
また、手先の方向と肩の方向の二方向に気が流れると、この方向に対して十字に気が発散していることを覚える。この気によって、相手の魄の力を制し、導くことができるのだと思う。
呼吸法(片手取り、諸手取り、坐技)などは、この気でやらないと、力が強い相手には上手くいかないはずである。

ここで気を出すために、手先の方向と肩の方向の二方向と、この二方向に対しての十字の方向に気が流れることになるが、これを前出しの「火と水の交流によって、気というものができる。」ということだと考える。
つまり、ここでは火と水の交流には二種類あることになる。一つは、引き合う二方向の交流であり、もう一つは、十字の交流である。つまり、気が出るためには、二つの異なるモノの交流が必要ということであろう。
二方向の交流は、出る気と引く気の火と水の交流であるが、魂の根源と物質の根源の交流ということにもなる。ここで大事な事は、出る気と引く気、火と水、魂の根源(心)と物質の根源(力)のバランスが取れる事であると考える。

気の研究はまだまだ続くことになろう。