【第646回】  魂が上になるための魄の土台づくり

第641回 魂が魄の上になり、魄を導く」でも書いているように、魂が魄の上になり魄を導く稽古をしようとしている。稽古は道場での相対での形稽古の中、そして禊ぎにおける一人稽古である。
道場での自主稽古では、ここでも例として挙げた“片手取り呼吸法”や“諸手取呼吸法”、それに“入身投げ”、“天地投げ”でもこの稽古をしている。そして最近は、“正面打ち一教”でこの挑戦をしているところである。
禊ぎにおいては、素手での素振りや四股踏みでこの感覚が掴めている。

魂が魄の上になって技をつかうと、それまでの魄(腕力、体力)でのものと次元が違うせいか、自分の体(魄)だけでなく、相手も導くことができるようになり、己自身は勿論、相手も納得するようである。

魂が魄の上になって技をつかわなければならないが、その為には土台になる魄をしっかり育て、そして上手につかわなければならないことが分かってきた。そうでないとヒルコ(不完全)な技が生まれてしまうからである。

合気道は魂が魄の上に来て、魄を導くなどというので、魄を軽視する傾向にある。しかし、それはこれまで書いてきたように間違いである。
更に、魄の重要さは、この魂が魄の上になり魄を導く稽古をしていくとわかってくる。
例えば、己の魄(体、体重)を最大限活用しなければならないことである。技を手先だけ、腕力で掛けても、それほど大きな力は出ないし、限界があり、受けの相手を倒したり、押さえるどころか、頑張られたり、返されてしまったりしてしまう。
技を掛ける手先には、全体重が掛かるように体と息をつかわなければならない。打たれようが持たれようが、相手に己の手が触れたなら、そこにはいつでも己の全体重が掛かるようにならなければならない。

そのためには、技も体も陰陽十字につかわなければならない。陰陽十字でなければ体重が活用できないのである。体が陰陽十字になると一軸の態勢になり、体重が一点に集中できるからである。

更に大事な事は、己の体(魄)だけでなく、受けの相手の体との一体化である。相手と触れた瞬間に一体化すると同時に、自由自在に己の全体重が掛かるようにするのである。これで相手を自在に導くことができるようになるわけである。

更にまた、息づかいが大事である。息づかいによって魄(体、体重)が重くも軽くもなるのである。
幾ら頑張って、己の体重を重くしようと力んでも、息が切れればそれまでである。これまで修練して身につけてきた、イクムスビや阿吽の呼吸の息づかいをするのである。とりわけ、阿吽の呼吸の働きが素晴らしい。阿吽の“阿”で息を入れると魄(体、体重)は下の地に下りていき、魄はどんどん重くなるのである。

話しは前後するが、阿吽の呼吸で体が重くなるようになるため、相手と一体化するため、そして体が陰陽十字に働くためには、体のカスを取り除いて、体の末端の手先や足先と体の中心の腰腹が結び、そして腰腹で手先や足をつかえるようにしなければならない。これが基本中の基本の土台づくりであると考える。 

これで土台ができると考えるが、土台の魄ができたといっても、この魄で技をかけるのではない。しかし注意しないと魄に頼った技づかいになると大先生は注意されているのである。
これが、本来の合気道の稽古法であると、大先生は次のように言われている。
「合気の練磨方法は、魄に堕せぬように魂の霊れぶりが大事である。これが合気の練磨方法である」。

魄に堕せぬような稽古は、難しいと思う。何故ならば、魄に頼らない稽古だけでなく、土台であり、下になっている魄の上になり、魄を導く魂や魂の霊れぶりもよく分かっていないからである。

そこで、「魂が上になるための魄の土台づくり」を稽古しながら、見つけていきたいと考えている。