【第645回】  神話と合気道 天之御中主神

第640回「天之御中主神になる」で、大先生は、「人はみな天の浮橋に天之御中主神になって立たなければなりません」と言われていたと書き、また、天之御中主神になるとは、「宇宙そのものとひとつになること、宇宙の中心に帰一する」(『武産合気』P.32)ことであると書いた。
しかし、大先生が言われる「人はみな天の浮橋に天之御中主神になって立たなければなりません」と言う意味には更に深い教えがあることが解った。

最近、深層心理学者の河井隼雄の『神話と日本人の心』(河井隼雄 岩波現代文庫)を読んでいるが、大先生の教えと併せて読んでいると、天之御中主神になるという意味が良く解ってきたのである。

キリスト教文化圏の神の構造は「中心統合構造」であり、強力な中心が原理と力をもち、それによって全体が統合されている。その典型的なものが全能の神ゼウスである。
これに対し、日本の神話の神は「中空均衡構造」であるという。「中心に無為の神が存在し、その他の神々は部分的な対立や葛藤を互いに感じ合いつつも、調和的な全体性を形成している」。
この中心に無為に存在する神こそ天之御中主神ということになるわけである。

それでは中心に立つ中心とは何の中心なのかというと、タカミムスビとカミムスビの間ということである。世の始まりに、この三神があらわれたと神話にはある。
また、中心にある無為の神も天之御中主神である。何もしない神である。最初に出現する神であるから最重要な神のはずだが、『古事記』にも『日本書紀』にも何をしたのか一切語られていないというのである。因みに、タカミムスビとカミムスビについては、その二神の働きが語られているのである。

タカミムスビとカミムスビであるが、タカミムスビは高天原に君臨するアマテラスの後見人の役割をし、カミムスビはスサノヲ(大国主)の出雲の神話によく登場するという。高天原と出雲、アマテラスとスサノヲなどと対極していることになる。

この河井隼雄の『神話と日本人の心』の後書きの解説で、人類学者の中沢新一は、次のような解説をしている。

ここで二項というのは、タカミムスビとカミムスビであり、第三項が天之御中主神である。

これで大先生が言われた、「天之御中主神になる」意味が解ってくるだろう。
中心統合構造的でなく、また、対立的でもなく、対立的な二項の間をつないで、微妙な均衡を生み出すことのできる、第三項の存在にならなければならないということであろう。
更に、これによって大先生が言われていた、地上から争いをなくし、地上楽園をどのようにすれば建設できるかが分かるような気がする。
大先生の言われる、「天之御中主神になる」には深い意味があったのである。


参考文献 『神話と日本人の心』(河井隼雄 岩波現代文庫)