【第64回】 地のエネルギー

合気道の稽古で相手に技をかける場合、使う使わないは別にして力を出さなければならない。力には幾つかの違いがある。量的な違いがある、いわゆる腕力で強い、弱いといわれるもの。それから、質的に違う力。相手の力を弾くものとくっ付いてしまうもの。気持ちのいいものと、良くないもの。逆らわずついていきたくなるものと、反発心を起こさせるもの、などである。

初心者は力を出すのは手と思い、むやみに手を動かす。その挙句に肩を痛めてしまう。手は体の末端にあるので、強い力、質のいい力はでない。手は力の源ではなく、仕事をするときに力を伝えるものである。ということであれば、力は他の違うところから出てくるはずである。腹でも背中でも足でもない。何故なら、例えば宇宙船の中や水中で合気道の技をかけようとして、手、腹、背中、足に力を入れたとしても力は入らず、相手に力は伝わらず、合気道にはならないはずだからである。

従って、力の源は「地」ということになる。大地があるから力(エネルギー)が体に入り、手から相手へと伝えることができるのである。大地、大地球には引力と斥力(せきりょく)という力(エネルギー)がある。合気道ではこの大地球の引力(斥力)を重視し、神としている。開祖はこれを「大山クイの神」と言われている。そしてこの神を「智魂」というとしている。

技を上手くかけるためにはこの大地の引力と、その対象の斥力を使わなければならないことになる。自分の体を大地の引力の中に置き、大地の斥力を足から腰、背中、肩、手、手先と伝え、手先や相手との接点を引力に任せるように大地に返すのである。このときの拍子は大地の呼吸ということになり、それを「塩盈珠(しおみつのたま)、塩ひる珠」というようである。

合気道で技をかけるとき、稽古相手に伝わる力は、体重と大地球の引力とそれにスピードと拍子を掛け合わせたものであろう。「地」を味方につけなければ技は上手くきまらない。

しかし、「地」を味方にするのはそう容易ではない。「地」を味方にしないで、地のエネルギーを使えない典型的な例は、足が居ついていながら技をかけようとする場合である。足が地に居つけば、地からのエネルギーは流れ込まず、力が出ないので、手をバタつかせ、結局は手さばきになる。上半身だけの力となるので量的にも質的にも不十分なものとなるのである。「地」を味方につけなければ、技は上手くきまらない。