【第634回】  本性のなかに真理が宿っている

合気道の修業の目標は、宇宙との一体化であると教わっている。合気道の技の錬磨によって、宇宙の法則に則った身体とその動きを身につけ、宇宙の営みと一体化していくのである。
宇宙の法則とか宇宙の営みとは、宇宙の真理であり、神といってもいいだろう。従って、別に表現すれば、合気道の修業は真理の探究ということにもなるだろう。
しかし、はじめは誰でも、人が宇宙や神と一体となれるのか疑問に思うはずである。故に、先ずはこの問題から解いていかなければならないだろう。

この問題の解答も、大先生が出されており、次のように言われている。
「人の身の内には天地の真理が宿されている。人というと万古不易(いつまでもかわらないこと)の真理が宿らぬ者はなく、それは人の生命に秘められているのである」。
要は、人には誰にでも真理が宿っているということである。従って、真理である宇宙とは同族であり、同質ということになうから、一体化できるわけである。

では何故、真理を宿している人が宇宙や神と容易に一体化できないのか、ということになる。これに対しても、大先生は、「本性のなかに真理が宿っている」といわれているのである。真理は通常の心(性)の中ではなく、生まれつき持っている純な心、人本来の性質(本性)の中にあるのである。
日常の競争社会や損得の社会での心には、真理は宿らないということなのである。

それでは、人が真理を宿すためにどうすればいいかというと、性を本性にすればいいことになる。俗な心を生まれた時の無垢な心、真の心にするのである。
合気道では、技の錬磨を通して、欲のある性(心)を払いのけ、強い弱いなどを超越し、我を一つづつ剥がし、また、天地(宇宙)の声に耳を傾けて、無心になるべく、そして本性になろう、本性に近づこうとしているわけである。これを禊(みそぎ)というはずである。

合気道だけではなく、弓道でも座禅でも、己の本性を得るために修業をしているはずである。空を行ずるとか、自我の想念を無くすとか、無我などの言葉が使われていることからも明らかである。

これまでは身体の禊に重点を置いてきたが、これからは心の禊にも励まなければならないと考える。性を本性に変え、真理を宿させていかなければならない。
合気道は禊である。体も心も禊がなければならない。