【第629回】  気は息から、息は気で

引く息の重要性に関して、 大先生の教えを『合気神髄』に見つけたので、その教えを紹介すると共に、息と気の関係を研究してみたいと思う。

まず、その教えには、「気でよける。逃げてはいけない。動きの前に相手の気を押さえる相手をこしらえては合気になりません。相手の気は相手にまかす。合気は気を練る」(合気神髄p159)とある。
「気でよける」の気は、後で説明するが、引く息から出る気であり、この引く息の気によって相手の攻撃を捌くということである。「逃げてはいけない」というのは、心体は相手が打ち下ろす太刀から逃げては駄目ということと、気を引いては駄目ということだろう。
「動きの前に相手の気を押さえる相手をこしらえては合気になりません」とは、息を吐いて相手に向かうと、相手の気を押さえることになる。相手もこちらも息を吐き合うからぶつかってしまうのである。相手の気を押さえないためには、息を引く、息を吸って進まなければならないのである。息を引きながら進めば、相手を自由に打たせることができ、相手は満足して‘仕事’ができることになる。そして十分に打たせたその太刀を,気と体で捌けばいい。
しかし、相手は太刀で打ってくるわけだから危険である、気をしっかりと持って、その恐怖や迷いの心(気)と戦わなければならないことになる。それが「合気は気を練る」ということだろう。

更に、また、息づかい、つまり呼吸は気のつかい方によると、「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。気の妙用によって、身心を統一して、合気道を行じると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる」と、大先生は言われている。
イクムスビや阿吽の呼吸などの息づかいは、気を上手くつかうことによるということである。気が息の生みの親、育ての親ということなのである。
そして気によって身心を統一して技を遣えば、呼吸に微妙な変化が起き、技(業)が自由自在に出るというのである。確かに、太刀捌きをこの気と息づかいでやると自由自在にできるようだ。

息と気は大いに関係が深いことになるわけである。
気は常に出さなければならないが、息を吸うと気も引っ込んでしまうように思っていた。しかし、気は息を吐いても吸っても出るのである。息を吐こうが吸おうが、気はおへそから出て、体中に満ち、手先や足先から発散するのを感ずる。だから、息を引いても(吸っても)気が出せるので、気でよける事ができるわけである。

しかし、気を感じ、そして遣うのは難しいだろうから、まずは息づかい、呼吸によって技をつかうのがいいだろう。魄の力から息づかいによって技がつかえるようになれば、徐々に気を感じるようになるだろう。気を感じるようになったら、今度は大先生が云われているように、気の妙用によって呼吸をするようにすればいいと考えている。
気は息づかいから学び、そして気で息づかいをするようにしていけばいいのではないだろうか。