合気道は難しい。年季を経れば経るほど難しくなる。問題はますます高度になり、問題の回答もなく、教科書もない。只、最終的な目標がぼんやりと示されているだけである。ぼんやりという意味は、開祖がそう言われているだけで、大抵の門人たちはそれを意識していないだろう。最終目標を知らなくとも、意識しなくとも稽古は続けることができるということであり、最終目標はぼんやり霞んでいるわけである。
勿論、開祖が言われている、合気道の修業の目標は宇宙との一体化でなければならないし、それに向かって精進しなければならない。教科書が無くともそれに挑戦していかなければならない。それは個人の自由だろうと思うかも知れないが、それに向かわなければ、恐らく合気道の真髄に近づけないどころか、体を壊すことになるはずである。何故ならば、宇宙との一体化につながる道を合気道というわけだから、それに繋がっていなければ、道に外れた外道ということになるわけである。宇宙に嫌われるから、体も壊すことになるわけである。
それでは宇宙との一体化のためには、どのような修業や稽古をしなければならないかということになるだろう。
それは宇宙と一体化された開祖が話されたこと、書かれたもので研究するほかないだろう。それも一度にできることではないから、少しずつやるべき課題を見つけ、解決し、また、これだろうと思うことに挑戦し、そして開祖の言葉が載っている『合気神髄』『武産合気』に反していないか、これでいいのかを比べたり、確認したり、反省することであろう。
前置きが長くなったが、今回はこの目標に近づくべく、「己の呼吸と天地の呼吸を合わせる」の研究をしてみたいと思う。
これまでは、己の呼吸、例えば、イクムスビなど研究したし、天地の呼吸の重要性も研究したつもりだが、それぞれ別個に扱っていた。
今回は、この己と天地の呼吸を合体させる研究ということになろう。
まず、疑問が起こるのは、人間と天地の呼吸が一緒になることができるのかということであろう。
大事な事は、それが可能であるという事を信じる事である。
これが可能であるということは、開祖が次のように保証されているのである。