【第614回】  合気道の鍛錬は神業の鍛錬

合気道の稽古で目指すことは、はじめに, ○受けを取れるようになること ○合気道の技(形)を覚え、合気道の体をつくること、そして, ○その技と体で相手を投げたり抑えられるようになることであろう。
多くの稽古人は、これで合気道をマスターしたと思ってしまったり、これから先の稽古があることや、どのような稽古をしなければならないのかが分からないでいるように見える。

ここまででも5年や10年はかかるわけだが、これは真の合気の道へ入るための準備なのである。これを開祖は、合気道の形稽古は体の節々をときほごすための準備であり、これから六根の罪けがれをみそぎ淨めていかなければならないといわれているのである。(武産合気 P.37)

そこで更に形稽古で体の節々をときほごし、六根の罪けがれをみそぎ淨めていかなければならないわけである。そしてこれが当面の稽古の目標となるだろう。
しかし、形稽古で技を覚え、体をつくり、体の節々をときほごし、六根を浄めることは、合気道修業の最終的な目標ではないと考える。これらは目的を達成するために通過すべき過程であって、最終的な稽古、鍛錬ではない。

誰でも合気道に入門するときに夢みたのは神業だったはずである。神業とは自分の実力以上の力を発揮する、摩訶不思議な技だろう。それをもう一度初心に帰って考えてみればいい。己の腕力や体力だけの力では技もたかが知れる。こんなために稽古をやってきたのではないはずである。神業、摩訶不思議な技がつかえるようになることである。

つまり、今度は神業の鍛練に入ることである。神業が生じるように稽古をするのである。人間の小さな小手先の技に満足するのではなく、天地の力、神の力をお借りして技をつかうようにするのである。そうすれば、合気道が最終的に目指している、己と宇宙との一体化ができると、開祖は次のように言われているのである。
「この道(合気道)は宇宙の道で、合気道の鍛錬は神業の鍛錬である。これを実践してはじめて宇宙の力が加わり、宇宙そのものに一致するのである。」
宇宙の道とは、宇宙と一体化する道であり、神業の鍛練とは宇宙の営みを形にした、宇宙の法則に則った「技」を会得していくことである。

合気道の鍛錬は神業の鍛錬ということになろう。