【第594回】  合気道の「合気」

合気道は難しい。掴みどころがない。底が見えないし、先も見えない。
初心者の内は、合気道を難しいなどと思うことはないだろう。あるとしても、精々、最初は二教や後ろ取り等の形が分からないとか、そして次に、掛けた技が効かないといったところだろう。
私などは、中学、高校でテニスと走り高跳びをやっていたが、合気道の稽古より厳しく大変だったので、合気道とはこんなものかと思ってしまったものだ。

合気道がこんなものかと思ったり、何も問題なくやっている内は、まだまだ合気道を知らない初心者だといっていいだろう。形をなぞって技を掛けたり、受けはある程度取れるだろうが、肝心要のことが解っていないし、解ろうともしない。
例えば、「合気道」を、合気道を知らない人に説明できるか。合気道は何か、何を目指して修業しているのか、何のために稽古しているのか等を分かっているのかということである。自分が分かっていなければ、他人に説明はできない。
そう考えていくと、簡単ではない。「合気道」は5年や10年では解らないはずである。

しかし、「合気道」を自分なりにでも解らなければ、稽古を続ける意味は半減する。目標がなければ稽古にならないからである。難しいが挑戦しなければならないのである。
そこで今回は、「合気道」、特に「合気」について、研究してみることにする。

「合気道」の「道」の一般的な解釈は辞書にいろいろあるが、この内の“ある地点と地点をつないで長く連なった帯状のもの”“目的とする所へ至る経路“(大辞林)を採る。
次に合気道的な「道」の解釈は、前から書いているように、“合気道の目標と己をつないだ経路”とする。つまり、合気道の目標は宇宙との一体化であるから、己と宇宙との一体化する所へ至る経路ということになる。

さて、「合気道」の「合気」である。
「合気」の「合」の意味は、“一つになる”、“一致する”、“同じにそろう”、“互いに行う”などである。
また、「合気」の「気」は、一応これまで言って来た、“宇宙エネルギー”とする。しかし、気は難解でまだまだ研究の余地がある。
さて、この「合」と「気」の字面からは、「合気」とは気が一つになるとか気を一致するということになるわけだが、これではまだ、我々が知ろうとしている「合気」の解釈としては不完全だろう。

そこで開祖が、「合気」をどのようにご説明されているのかを、『合気神髄』と『武産合気』で調べさせて頂き、その幾つかを取り上げてみると、次のようになる。

これから「合気」とは、己の気と宇宙の気が響き合い、同調することだと考える。開祖がよく言われておられる、魂のひれぶり、念彼(ねんぴ)観音力、山彦等はこの「合気」のことだと考える。

この「合気」の定義により、「合気道」は、宇宙の響きと一体となり、同調する道ということになり、これまで述べてきた、宇宙との一体化ということになる。