【第556回】  摩擦連行の体と技づかい

第547回「摩擦連行」第549回「摩擦連行の稽古」に引き続き、「摩擦連行の体と技づかい」という題で、摩擦連行をもう少し掘り下げて研究してみたいと思う。
少ししつこいかもしれないが、この摩擦連行(作用)は、合気の真髄を把握するために必要不可欠であるということであり、云いかえれば、この摩擦連行ができなければ真の合気の技は遣えないという事になるからである。
前にも引用しているが、それを開祖は、「この摩擦連行作用を生じさすことが、できてこそ、合気の真髄を把握することができるのである。」(「合気神髄」p87)と云われているのである。

もう一度、摩擦連行について、開祖がどのように言われているかを書くと、「こうして合気妙用の導きに達すると、御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋しつつ舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって、無量無辺である。」である。

つまり、「摩擦連行作用を生ずる」ためには、「合気妙用の導きに達しなければならない」のである。言葉を変えれば、合気妙用の導きに達しなければ、摩擦連行作用を生ずることはできないのである。

開祖は、どうすれば、合気妙用の導きに達するのかも説明されている。ちょっと長いがここに記す。
「武産の武の結びの第一歩はひびきである。五体のひびきの槍を阿吽の力によって、宇宙に拡げるのである。五体のひびきの形に表れるのが、「産び」(むすび)である。すべての元素である。元素は武の形を表わし、千変万化の発兆の主である。呼吸の凝結が、心身に漲ると、己が意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感じる。
このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己の周囲に集結して、列座するように覚える。これすなわち、合気妙応の初歩の導きである。合気を無意識に導き出すには、この妙応が必要である。」(合気神髄 P.87)

これを自分なりに解釈して、敢えて簡単に言ってみると、技をつかうにあたって、まず大事なことは、ひびきであり、そのひびきが形で表れるのは「むすび」であるということである。具体的には、稽古の相手と結んでしまうこと、くっついてしまうことである。これが形で表れるということだと思う。従って、技の稽古をする際、まずは相手とむすぶことが大事になる。
後は、呼吸の凝結(息、気)を身心に漲らせるのである。

合気妙用の導きに達したならば、息が右左に舞昇り、舞い降りる。
これを具体的に、「片手取り呼吸法」で解説してみると、合気妙用の導きに達しているので相手が掴んでいる手とこちらの手首は、ひびきによって結んでいる。重心が掛かっている側から、息を引きながら重心を反対側に移していく。この時、相手との接点を先に動かさず、息を引きながら、手首から先を指先の方向に伸ばし、手首から腕側(手首から肩や胸鎖関節)を肩の方向に伸ばす。つまり、手首のところで、力は二つの方向に働くことになる。
更に、息を引くと、足に掛かっている重心は地に下りていきながら、足首、膝、腰など任意の部位から上部に体重が上がってくる。つまり、任意の部位で、体重が上下2方向に働くわけである。

相手との手の接点や足の任意に箇所は、力、気が二方向に分かれる箇所であり、十字に結ぶことになる。つまり摩擦連行作用を生ずることになるわけである。
そして、ここから大きな力、無量無辺の力が出てくるのである。
この力は、どんなに押し付けたり、引っ張ったりする力よりも強力である。
この摩擦連行から出る、無量無辺の力こそ、合気道の力だと考える。
合気道の技は、日常的な力ではなく、この力をつかわなければならないはずである。

上記では、「片手取り呼吸法」で説明したが、「坐技呼吸法」などは、この摩擦連行作用を生じさせなければ、上手くいかない典型的なものである。それ故、この「坐技呼吸法」は、摩擦連行作用を生じさせる最適な稽古と考える。

開祖が居られたころは、どの先生の時間でも必ずこの「坐技呼吸法」を稽古したが、やはりこの稽古は、合気の真髄である、摩擦連行作用を生じさせることを会得するために、最適なものだったということであろう。
合気道の稽古も原点に帰ることが必要ということであろう。