【第530回】  気の妙用

前回第529回の「心と肉体と気」で、「気」の一面を見た。「気」はあるし、感じることができるし、「気」によって体と心を調和させることができるし、調和させなければならないと書いた。
「気」のほんの一部分、何万分の一しかわかっていないだろうし、己の「気」の力も微々たるものだろうが、それは仕方がない。それはこれからの修業で増進していけばいい。大事な事は、0(ゼロ)と0.000・・・1には大きな違いがあるということである。つまり、異質であるということである。
つまり、0の無の状況から0.000・・・1であれ、有の状況にすることが大事なのである。後は、この有になった気を育てていけばいいだけである。0(ゼロ)では育てようがないのである。

横道に逸れてしまったが、今回はその気をどのようにつかえば技が上手くつかえるようになるのかを研究してみたいと思う。
また、開祖のお言葉を引用する。「気の妙用によって、呼吸の微妙な変化が得られて、業が自由自在にでる」(「合気神髄」P86)。

これまで技をつかうには、呼吸で技を掛けるといってもいいほど、呼吸が大事だと書いてきた。その大事な呼吸は、「気の妙用」で変化し、その変化によって、自由自在に業、つまり神業がでると云われるのである。

因みに、「気の妙用」の“妙用”とは、不思議な作用、非常にすぐれた働きということである。従って、技は気の妙用により、呼吸を微妙に変化させて掛けなければならないということになる。筋力を力ましたり、息をつめたり力んだりするのではなく、不思議な作用や非常にすぐれた働きのある気に働いてもらわなければならないということになる。

前回の論文で書いたように、相手に手を取らせる際、手と心と気が調和すれば、相手とも一体化できるわけだが、技をつかう際も、この手と心と気の調和した状態を最後まで続けていけばいいわけである。そしてこの調和を主導するのが「気の妙用」ということであろう。

相手に手を取らせる際もそうだが、その後の技を納める迄の手と心と気の調和した状態は、天にも地にも隔たりがない、所謂、天の浮橋に立った状態である。
気の妙用によって、天の浮橋に立つことができるわけである。

この天の浮橋に立つことによって、相手と手だけではなく、相手の心とそして気とも調和することになる。気の妙用による一体化である。開祖はこれを、「気の妙用によって、個人の心と肉体を調和し、また個人と宇宙との関係を調和するのである」(「合気神髄」P178)と云われている。
相手と調和できるようになれば、次は宇宙とも調和ができるようになると云われているのである。

気の妙用によって、天の浮橋に立った状態で相手に接し、また技をつかえば相手と一体化できるわけであるが、気の妙用には更に摩訶不思議な働きがある。
例えば、お日様を見ることができるし、眩しくないのである。
また、樹木や植物が違って見える。それまでは形や色など外観でしか見ていなかったが、これまで見えなかったモノ(心)が見えるようになるようである。
修業を続けていけば、その内に、彼らの心がわかるようになり、話し合うことができるようになるかもしれない。