【第528回】  合気の真髄を求めて

合気道は技の形稽古を通して精進していくわけだが、その稽古を長年続けていくと技が段々効くようになる。技をつかうことによって、受けの相手を倒したり、抑えることが上手くできるようになるわけである。

しかし、相手を倒したり、抑えるのが合気道の稽古の本来の目的ではないはずである。とすると、技を掛けて相手を倒したり、抑えたりすることには意味がないのではないかとも考えなければならないだろう。もしも、意味がないとしたら、倒したり、抑える稽古に意味がないことになってしまう。
結論は、その稽古には意味があるということである。

技を掛けて相手が倒れるということは、宇宙の法則を身につけたことになるわけである。技は宇宙の法則に則っているわけだから、その技が効いたということは、宇宙の法則に則った技をつかったことになり、宇宙の法則を身につけたことになるはずだからである。

勿論、技をつかって相手を倒すことが稽古の目的ではなく、法則に則った技をつかった結果、相手が倒れるということが重要なのである。

さて、技を掛けて、ある程度、相手が倒れたり、相手を抑えたりすることができるようになったとすると、次の課題がでてくる。次の稽古の目標である。

よく考えてみると、それまでの稽古は、力や体力など魄の稽古であったはずである。勿論、魄の稽古は重要であり、形を覚えたり、体をつくることは必要な事である。
しかし、これまでの稽古は、次の段階に入るための前段階であり、これから、合気の真髄の稽古、魂の稽古への本格的な合気の稽古に入るための準備段階だと考える。

これまで呼吸の重要さ、十字・火と水の息づかいなどを書いてきたが、この息づかいから、更に次の段階に進むことができるヒントが、『合気神髄』(p87)に書かれているのを見つけたので、それを書いてみたいと思う。

  1. 「呼吸の凝結が、心身にみなぎると、己れが意識的にせずとも、自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる。その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感じる。」
  2. 「このような呼吸ができるようになると、精神の実在が己れの周囲に集結して、列座するように覚える。これすなわち、合気妙応の初歩の導きである。合気を無意識に導き出すには、この妙用が必要である。」
  3. 「こうして合気妙用の導きに達すると、御造化の御徳を得、呼吸が右に螺旋しつつ舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる。水火の結びは、宇宙万有一切の様相根元をなすものであって、無量無辺である。」
  4. 「この摩擦連行作用を生じさすことができてこそ、合気の真髄を把握することができるのである。」
これを自分なりに解釈してみる。
  1. 「呼吸の凝結」とは、呼吸が縦と横の呼吸、火と水の呼吸、天の浮橋の呼吸、天之御中主神になるようになり、そして密度の濃い呼吸になるものと考える。この呼吸が心と体にみなぎると、「自然に呼吸が宇宙に同化し、丸く宇宙に拡がっていくのが感じられる」ようになる。そして、「その次には一度拡がった呼吸が、再び自己に集まってくるのを感じる」というのである。この感じは掴めそうだ。
  2. この呼吸ができるようになると、次に、「精神の実在が己れの周囲に集結して、列座するように覚える」というのである。ここでのポイントは「精神の実在」であるが、この精神の実在とは神々が実際に見え、その神々がお集まりになり、一緒に居られることが実在として見えるということだと考える。開祖は、御燈明をあげ、祝詞を唱えられると、神様がお集まりになり、列座されているのをご覧になったと云われているからである。
    これが合気を無意識に導き出すために必要な「合気妙応の初歩の導き」であると云われているのである。合気の妙用とは、そこに書いてあるように、「合気を無意識に導き出す」ということである。
    ここで注目しなければならない事は、この神様がお集まりになり、列座されるのが実在として見える段階でも、まだ、「合気妙応の初歩の導き」であり、真の合気への初歩であるということである。
  3. この「合気妙用の導きに達する」と、「御造化の御徳を得」、つまり、宇宙創造の力を得、その力によって「呼吸が右に螺旋しつつ舞い昇り、左に螺旋して舞い降り、水火の結びを生ずる、摩擦連行作用を生ずる」ようになるのである。水火の結びとは、伊邪那岐、伊邪那美の地球修理固成での息陰陽水火の結びである。
  4. この呼吸によって摩擦連行作用を生じさすことができてはじめて、合気の真髄を把握することができるということである。
合気の真髄を把握するのは容易ではないが、開祖のお言葉を信行し、挑戦するしかないだろう。
これからが、真の合気道の修業ということになるのだろう。