【第523回】  合気の鍛練は神業の鍛練

合気道修業の目標は、宇宙との一体化といわれる。大変な目標である。あまり目標が遠いところにあるので、大半の稽古人ははじめから諦めているように見える。
しかし、合気の道を進むためには、この目標に向かって進むしかないはずである。
諦めるわけにはいかないだろう。目標を諦めて、別の道を行けば、道に外れた外道に陥り、合気道をつくられた開祖植芝盛平翁は悲しむだろう。

はじめから諦めることはない。開祖植芝盛平翁は、合気の目標を示されただけでなく、その目標に近づくための方法もご教示下さっているのである。
開祖は、宇宙と一体化するために神業の鍛練をするのだと、次のように云われているのである。「この道(合気道)は、宇宙の道で、合気の鍛練は神業の鍛練である。これを実践して、はじめて、宇宙の力が加わり、宇宙そのものに一致するのである」(『合気神髄』 P42)
宇宙との一体化は、神業の鍛練で、可能であると云われているのである。

これまで開祖が云われているように、合気道は「技の錬磨」を通して精進していくと書いてきた。技の錬磨とは、宇宙の営みを形にしたと云われる技を練ることによって、宇宙の条理・法則を見つけ、身につけることだと書いてきた。

技とは、人が身につけるもの、身につけたものということになるだろう。
この技に対して「業」がつかわれるわけである。「神業」である。
確かに、「神技」では可笑しい。人間では技であり、神は業なのである。人間の優れたワザに対して、「あの人の技は神技である」という。

「神業」の「業」は、本来はじめから神様に備わっているワザということで、他から取り入れる人間のワザとは違うと考える。

従って、「神業」は宇宙の営みそのものということができるだろう。つまり、神業の鍛練とは、宇宙の営みを見つけ、身につけるということになり、これまでの「技の錬磨」と同じということになるだろう。

技の錬磨、神業の錬磨をしていくことによって、宇宙の力を得ていき、宇宙の力が加わり、宇宙に少しずつ近づき、そしてついには宇宙と一致することができると、開祖は我々に保証されておられるのである。挑戦するしかないだろう。