【第517回】  柔術から合気道へ

私が合気道に入門したのは50年ほど前になるが、当時はまだ大先生(開祖)もご健在で、われわれを時々ご指導下さっていた。旧道場は狭かったが、上段の床の間があり、天井が高くて薄暗く、まさに武道場という雰囲気があった。合気道はまだ世間にあまり知られてなかったため、稽古人はそれほど多くなく、大先生の関係者やその関係者からの紹介者、他の武道をやっていた人たちがほとんどだったようだ。

私が入門した2,3年前までは、入門するために紹介者が必要だったが、私はそれが解禁になったおかげで入門できたわけである。

稽古は今と比べれば実践的で、勝つための稽古、負けないための稽古だった。例えば、技をかけるには必ず当身を入れろ、と教わった。確かに、先輩などに当身を入れないで技をかけてもびくともしないので、仮当てで当身を入れる稽古をしたものだ。また、がんばる相手に対して、先輩たちは相手が倒れたり、力を抜くまで、手を変え、技を変えて攻めていた。

先輩たちは強かった。体はできているし、稽古は実践的で、力一杯投げたり決めにくる。こちらが下手な技をかけると返してくるから、返されないように力一杯、精一杯やらなければならなかった。初めだけでなく、技の途中でも当身が入るから、当身を食らわないような態勢を取り、そのための動きをしなければならなかった。

これは、今思えば柔術的な稽古であったと思う。この流れは大先生が居られる間、古い道場での稽古までは続いていたといえよう。

しかし、大先生はそれ以前に、既に柔術的稽古・修業・考え等から変わられていたのである。大正14年には大先生は黄金体となられ、「武道の根源は、神の愛(万有愛護の精神)であるとの悟りを開かれた。

そして、「取ったり投げたりの今日迄のような武道をする必要はないのです」(「武産合気 P.54」)などと、いわれていたのである。これまでのように相手を倒したり投げたりする柔術的な武道から、愛の武道、つまり真の合気道を目指されていたわけである。

しかしながら、弟子たちは引き続き柔術的な、相手を倒す稽古をしており、まだまだ稽古のやり方は変わっていなかった。その典型的な方が、大先生の高弟であり、養神館館長であった塩田剛三であろう。実践にめっぽう強く、空手家、柔道家、ボクサー、アメリカ大統領のボディーガード、ヤクザ等々と戦い、負けを知らない方だった。大先生の教えと、ご自身の努力で実践の合気道をつくられたのである。

塩田館長は、「実践における合気道は、当身が七分、投げが三分」と、非常に実践的な考え方をされていたわけである。

しかし、塩田館長のすばらしさは、実践合気道、柔術的合気道には限界があること、そして、これからの時代には合わないこと、合気道は変わっていくし、変わらなければならないことを見越されていたことである。

塩田館長は「合気道が、実践で使われる必要はない。私が最後でいい」といわれていたのである。ご自身のように実践で合気道を使える者は出ないだろうし、世間も評価しなくなるので不要である、ということであろう。

合気道ではもはや実践的稽古、柔術的稽古を抜け出して、稽古を変えていかなければならないのだが、なかなか変わっていけないのが現状ではないだろうか。その変わらない理由を考えてみると、@これまでの歴史的な流れにある、柔術的な流れの余韻がまだ残っており、まだその中にあること A人の勝とう、負けまいとする人の本能・性にあると思う。

特に私のように実践的、柔術的な稽古の時期を少しでも経てきた稽古人には、この流れから抜け出るのは容易ではないし、人に勝とうとか負けまいとする本能をなだめるのも容易ではないだろう。

例えば、私自身、柔術を高く評価している。大先生も学ばれたという大東流柔術など人類の宝であり、人類の貴重な遺産であると思っている。末永く継承していって欲しいと願っているのである。

実践的、柔術的な稽古から抜け出すためには、合気道をさらに精進しなければならない。宇宙の法則に則った合気道の技を錬磨するのである。技を練り、宇宙の法則・条理・真理を身につけ、宇宙と一体化していくのである。神に近づくのである。神様なら相手をやっつけようなどと思うはずはないだろう。

また、合気道の修業を通して、魄(力)を魂(心)で制し、導くべきであるとわかってくるはずである。見えるものや魄の力よりも、見えない心(魂)の大事さに気がつくはずである。魄ができたら、次はそれを土台にして魂を養成するのである。これが、柔術を経た合気道であると考える。

この合気道の修業も柔術と同じように、いやそれ以上に頑張らなければならないはずである。敵の攻撃をかわし、その敵を降伏させる柔術の稽古も厳しいはずだが、合気道の修業も厳しくなければならないだろう。修業の結果は、どれだけ厳しく稽古を続けたかということになるからである。楽すればそれまでのことだ、ということである。