【第513回】  「心」「肉体」「気」の一致

合気道の究極の目標は、宇宙との一体化といわれる。宇宙との一体化とは、宇宙万有の活動と調和することである。そのために、合気道では形稽古を錬磨しているのである。

開祖は「合気の道は宇宙の道で、合気の鍛錬は神業の鍛錬である。これを実践して、はじめて、宇宙の力が加わり、宇宙そのものと一致するのである」(「合気真髄」)といわれている。また、「合気道は真理の道である。合気道の鍛練は真理の鍛練であって、神業を生ずるのである」ともいわれている。

正しい合気の道を進めば、宇宙の力が加わり、宇宙そのものと一致して、神業がつかえるようになるのである。つまり、合気の鍛錬は、神業の鍛錬であり、宇宙への道なのである。

それでは、どのようにすれば宇宙万有の活動と調和し、神業である妙技を身につけることができるようになるのだろうか。開祖は、まず「自己を知り、大宇宙の真象に学び、そして一元の本を忘れないで、理法を溶解し、法を知り、光ある妙技をつくることである」といわれる。

更に、「人間は、『心』と『肉体』と、それを結ぶ『気』の三つが完全に一致して、そして宇宙万有の活動と調和しなければならない」(「合気神髄」P178)といわれている。この三つの完全な一致の鍛練を実行してこそ、真理の力が身心に加わる、といわれるのである。

つまり、

という三つを同時に兼ね行うことが必要である、といわれるのである。

相対の形稽古で技をかける際には、まず「心」が肉体にああせい、こうせいと指示を出す。心が宇宙の営み・活動に調和していれば、肉体もそのように動きやすいだろうし、妙技がうまれることになろう。そのためには真善美の鍛練も必要になるわけであって、合気道は真善美の探究である、といわれるのである。

肉体も、宇宙の営み・活動に調和してつかわなければならない。肉体それ自体はひょいひょいとひとりで動くことはしない。しかしながら、肉体も宇宙万有の活動と調和しなければならない、というのである。

ここで注意しなければならないのは、肉体・そ・の・も・の・といわれていることである。こころによってではなく、肉体自身を宇宙万有の活動と調和させるのである。つまり、肉体自身に心があるということだろう。確かに、心がああやれ、こうやれと肉体に指示しても、肉体がこれは宇宙万有の活動と調和していない、つまり法則違反であると判断すれば、心に対して異議申し立てをするだろう。肉体を痛めないよう、よりうまく動けるように、心にアドバイスをするだろう。肉体そのものも、大事に扱わなければならないのだ。

次に、「気」である。「気」も宇宙万有の活動と調和させてつかわなければならない。「気」が心と肉体を一つにむすぶのである。確かに、心で思ったことを肉体に十分に伝えるのは容易ではない。心で思った通り、指示した通りに、肉体はなかなか働いてくれないものである。

極端なことをいえば、どんなに心で思っても、手足は動いてくれないかもしれない。また、心で思わないのに手足や肉体が勝手に動くこともあるし、心で指示したことと違う動きをすることもあるのだ。

この心と肉体をむすんで、一体化して動かすのが「気」である、というのである。しかし、この「気」がまだ十分にわからないから、自分なりに試行錯誤して、この「気」を考えてみることにする。

これまで書いてきたことだし、稽古でも少しずつわかってきたことだが、心と肉体を結ぶものは息であり、呼吸である。心で思ったことを肉体に伝えるためには、息をつかうのである。息とはもちろん、イクムスビ、陰陽、縦横十字、などである。腰腹から手先や足先まで息を通し、手足などの肉体を十字や陰陽に動かしていくのである。

息がしっかり通っていれば、手足が折れたり曲がったり歪んだりはしないし、十字や陰陽の変換も容易にできる。息を十分に入れていかなければならないが、腰腹から手先に息を通すといっても、息が実際に肉体の中をスースー通っていくはずはない。

でも、何かが通っているはずである。何か大きなエネルギーが通っているのである。これが、「気」ではないかと思う。

また、息は・い・き・であり、「気」(き)とは大いに関係があると思う。同じように、気持ちも持ちようによっては大きいエネルギーを発するから、「気」と大いに関係があるはずである。

これを、開祖は「『気の妙用』によって、個人の心と肉体を調和し、また個人と全宇宙との関係を調和するのである」(同上)といわれているのだと思う。