【第496回】
魂魄結合の武
合気道は技を練りながら精進していく武道である。だが、魄に頼ることなく、魄は土台で、魂を表にして技をかけなければならない。
体力や腕力である魄の力で技をかけるのは容易であり、何の問題もないだろう。だが、魄の力に頼らず、魂の力で技をつかうのは、容易なことではない。
まず、魂を魄の上にして技をかける、とはどういうことか、そして、どうすればそのようになるのだろうか。その解答は、合気道の開祖にお聞きするしかないだろう。
開祖は『合気神髄』(初版第一刷版 P.95-96)で、「阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊ぎすれば、四方八方位に武産が生き生きとして、武の兆しが出る。阿吽の呼吸の気の禊によって生じた武の兆しは、世の泥沼から蓮の浄い花咲く不思議なる巡り合わせのように、不思議なる魂の花が開き、各自の使命の実を結ばせ、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合の武の本義を現わす。」と教えられている。
呼吸で、体を左、右、左につかうと、武が生まれ、魂が開花し、心と体が結びつく。これが、魂魄の結合した真の武である、といわれているわけである。
これを、具体的にどのように稽古をしていくかを見てみると、次のようになるだろう。
- 「阿吽の呼吸」とは、縦(腹式呼吸)と横(胸式呼吸)の十字の呼吸、イクムスビの呼吸など天地の呼吸に合致した、宇宙の営みに逆らわない呼吸であろう。
- 「左、右、左と巡環に払って」というのは、体(手・足・腰)を左、右、左と規則正しく、陰、陽、陰と正しく繰り返して、つかっていくことだろう。
- このように、体と息をつかって技をかけると、自分自身の体と心のわだかまりがなくなって、相手との体や力のぶつかりもなくなる。また、相手の心の反発も消滅する。これが、禊ぎであろう。そして、この禊ぎによって、絶倫の日本の武である武産が生み出され、神変自在、神通千変万化のわざが生み出されるようになる、というのである。
- ここで、世の泥沼から蓮の浄い花が咲くように、魂の花が開き、心で身を自由自在に結ぶことができるようになる、というのである。つまり、魂(心)で魄(身)を結び、そして、導くことになる。これが、武の本義である魂魄の結合であろう。
ここで、なぜ「呼吸で、体を左、右、左につかうと武が生まれ、魂が開花し、心と体が結びつく」か、を考えてみなければならない。私は「ひびき」が発生して、「ひびき」で魂魄結合になる、と考える。
「ひびき」には、大きいものから小さい、微細なものまである。微細のひびきは、宇宙のひびきの言霊である。そして、大きいひびきが、この呼吸による体の左、右、左の循環の振れである。この大きいひびきによって、己の心身(魂魄)を結び、相手の心身(魂魄)とも結び合い、そして武を生み出すもの、と考える。つまり、大きいひびきと小さいひびき、微小なひびきは響き合うはずである。
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