【第495回】  極意の名称 半身半立ち

合気道は通常、相対での形稽古で技と心体を練っていく。「形」は一教、四方投げ、入身投げなどであるが、それほど多くはない。しかし、片手取りとか正面打ちなど攻撃の方法である「取り」と、二人掛けとか多人数掛けなどの攻撃の人数である「掛け」が組み合わされると、稽古をする形は相当な数になる。しかし、形にしても、攻撃の方法である取りにしても、名称があるものは多くはない。

合気道の形と取りの名称は多くはないが、それらの名称は大変よく考えられ、合気道の理合い、また方向性や姿勢をよく表わしている、と今さらながら感心させられる。

例えば、「入身投げ」である。己の身を相手の死角まで入れて技をつかえ、という名称で、入身をしなければ技はうまくいかない、との教えが込められた、すばらしい名前であると思う。

合気道以前の大東流柔術や他の武術の名称も残っているが、当然、その中身は違う。例えば四方投げなどは柔術にもあるが、柔術の四方投げはいかに敵を制するかが大事であるために、相対的になり、技は厳しくなる。

合気道の四方投げは、例えば円の動きの巡り合わせ、十字、陰陽と、宇宙の営みを身につけるにふさわしい形であり、相手に関係なく、己のための稽古、絶対的な稽古ということになる。

さて、私が最もすばらしいと思う名称は「半身半立ち」である。なぜすばらしいかといえば、この名称には、我々合気道の稽古人達が求めるべき合気道の理念と理合いが入っているからである。

攻撃の方法である取りの「はんみはんたち」は、柔術の時代にもあったが、柔術では「半身半立ち」とは言わずに、「半座半立ち」といっていたし、今もそうである。

「半座半立ち」という名称・呼称を解釈してみると、一人は座り、もう一人が立っているということになる。これは、立っている人が、座っている人を攻撃する。そして座って攻撃された人が、立って攻撃してくる相手を技で制する、という攻防ということになる。

さて、「半身半立ち」であるが、これは実際には一人の半分の半身が座り、後の半分の半身が立っている、ということである。しかし、実際には、座っている人と攻撃をする役の立っている人の、二人がいるのである。

つまり、二人が一人になるということである。合気道の理念である、1+1=1である。技をかける役である座っている方が、立ったまま攻撃を加えてくる相手と結び、一体化するわけである。 立っている相手と一体化してしまえば、相手は座している己の一部になり、立っている残りの半身を自由に導き、動かすことができる。そうなれば、この「半身半立ち」という実感を得るはずである。

この「半身半立ち」の名称が理解できれば、合気道の理念と理合いを会得したことになり、理合いの技がつかえるようになるはずである。まさしく「半身半立ち」は、合気道に通ずる極意の名称であり、言葉といえるだろう。

合気道の形や取りの名称は、開祖植芝盛平翁や二代目吉祥丸道主が考えに考え抜き、整理されたもので、深い意味があるはずである。この「半身半立ち」をスタート台にして、合気道で使われている名称、呼称、言葉を見直し、研究しなければならないと思う。