【第494回】
松竹梅
「合気の稽古はその主となるものは、気形の稽古と鍛錬法である」と教えられている。気、流、柔、剛を霊と体で錬磨していき、その最後の段階で気の鍛錬の気形の稽古をし、そして呼吸力の養成の鍛錬法をしていくのが合気道の主な稽古である、ということであろう。
ここでは、その鍛錬法は忘れ、気形の稽古に的をしぼり、話を進めることにする。
「合気道は松、竹、梅の三つの気によって、すべてができています」ということである。つまり、我々が繰り返し稽古している稽古の形は、松竹梅の気の形でできているということである。それ故、松竹梅で技をつかわなければならないわけだから、この松竹梅とはどんなものなのかを知らなければならないことになる。
合気道における松竹梅は、学校でも教えてくれないし、事典にものってない。誰も教えてくれないので、この真の意味を理解するのは難しい。唯一の方法は、やはり開祖の言葉である。開祖の言葉が書かれた『合気神髄』『武産合気』から教えてもらわなければならない。
一般に、松竹梅は「歳寒の三友」(さいかんのさんゆう)といって、冬の寒さに耐える三種の植物といい、めでたいことに用いられる。合気道でも、松竹梅はよきものであり、大事なものであるとして用いられているが、一般的な解釈とは相当違うようである。合気道で、つまり開祖によれば、松、竹、梅はどのようなものであるとされているかを見ていきたい。
『合気神髄』21ページ「松・竹・梅の教え」から、
- 梅は、乾―法を聞くところ=教え ―天の浮橋 ―三角△ ―造化の三神 ―三角法→武道の初めの仕組みがわかる―不敗の体勢
- 竹は、気の修練―須佐之男の神さま=力の大王=武道の大王―○
- 松は、表裏のないところー勝速日―弥勒の教え=(丸に十)ー本当の大神さまの「ス」の現われー四角=□―玉留産霊―三角の気が昇り、その気の中に己の魂の気が存在する
また、松、竹、梅の三つの気は、生産霊、足産霊、玉留産霊である、といわれる。梅は△であるから生産霊、竹は○であるから足産霊、松は四角の玉留産霊、ということになる。また、松竹梅を、開祖は赤玉、白玉、真澄の玉であり、赤玉を塩盈珠、白玉を塩涸珠、真澄の玉を風の玉、といわれている。
しかし、ここではあまり深く触れないことにする。
さて、ここで気形の稽古まではいかないが、形稽古でこの松竹梅をどのように用いればよいか、を考えてみよう。
片手取り呼吸法を例としてみる。
- 相手に手を取らせるが、体三面に開き、天の浮橋に立ち、不敗の体勢をつくり、武道の初めの仕組みをつくることになるから、これが梅(の気)にあたるだろう。
- 次に、持たせた手を、心と体を円くつかい、円のめぐり合わせにより、遠心力と求心力が合わさった呼吸力で相手を導く。体、そして気の修練であるから、竹(の気)に当たるだろう。
- 最後は、残りの松になるはずである。しかし、この松は複雑である。丸に十字の○であるし、三角の気が昇る△でもあり、そして□(四角)なのである。
これを技としてつかわなければならないのである。
先の段階で相手を呼吸力で制している「竹」のところから、相手は倒れてくることになるが、そのために「腹中に
を収め、自己の呼吸によって
を
の上に収める」(『武産合気』)から、最後の収めが□(四角)になる。だが、その前に、己の気(三角の気)を一元の「ス」の神と結び、そして息を円く細くに収めるのである。
この収めが片手取り呼吸法だけでなく、すべての形で難しいが、それは
松(の気)がこのように複雑であることによるだろう。
合気道は宇宙の営みを形にしたもので、それを己の体に取り込んでいくのが合気道である、といわれる。この松竹梅の理合いこそが、まさにそれを端的に表わしていると思う。
開祖はかつて、それまで修業されていた武術をすべて忘れ、松竹梅の剣だけ残った、といわれた。これは、宇宙の条理に合ったことをしなければならない、と悟られたからだと考える。我々もその道を行かなければならない。
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