【第48回】 異質の世界

開祖は「合気道は絶対不敗の武道である。」とか、「米糠3合持つ力があれば出来る。」などと言われていた。つまり、他の武道とも対等以上にできるということと、腕力は必要ないということだろう。実際、開祖は強かった。他の武道家にも不敗であった。開祖は力自慢をしていたが、質の違う力だったのだろう。

「合気道は絶対不敗の武道である。」「米糠3合持つ力があれば出来る。」などは、開祖だから言えるのであって、われわれ稽古人の合気道では不可能だろうと考えていたが、最近は、今できるということではないにしても、正しく稽古していけば、その可能性も開けるのではないかと思うようになった。何故ならば、合気道には、通常のものと異なる特徴があるからである。

まず、合気道では相手と触れたところで相手を引力で合気して、相手を自由に動けなくしてしまう。そして、相手と自分のふたりを一つにしてしまい、一個のものとして動く。一個になれば相手は自分の一部なので自由に想い通りに動けることになる。合気道は、引力の養成ともいわれるように、引力、結びが大切である。もし、完全に相手を合気できれば、争いはなくなる。

合気道は、体の表の力を使う。一般の生活でも、スポーツや武道の多くは、主に体の裏である胸や腹からの力を使うが、合気道では体の表、つまり背や腰からの力を使う。体の表の力は裏の力と量的だけでなく、質的な違いがある。合気道の稽古で、後ろ両手取りの技をやれば明瞭だ。後ろから持つ方は体の裏で持っているが、技をかける方は背側の表からの力でやるので、多少、強く抑えられても楽に制することができる。体の表に力を十分に使えれば、通常の多少強い裏の力には対処できるだろう。

合気道は、息の使い方が異なる。技をかけるとき息を吐かず、腹に息を入れる(吸う)。これによって相手がくっ付いてきて崩れる。息を吐くと相手を弾いて逃がしてしまうか、ぶつかって争うことになる。また、息を吸うと自分の体、筋肉が柔らかくなる。逆に、吐くと硬くなる。この息の使い方はよほど意識しないと難しいが、これが出来れば相当パワーのある相手も崩せるだろう。この分かり易い例は、二教裏である。この息の使い方をせずに、吐いてきめようとすると、相手に頑張られてしまい、力のある人は崩せない。

合気道の動きは陰陽である。接点を動かさず、接点を陰陽に変えていく。手も蒸気機関車のピストンのように右が前に出たら、左が下がり、次は、左右が逆になる、その繰り返しである。足の動きも同じであるし、手と足は連動して動く。これがスムースにできると、相手は支えをなくして崩れやすくなる。

また、合気道は通常の世界と異なって幽界のものである。幽界では日常の物質文明のパワーの世界と異なり、米糠3合の重さの力の世界である。この幽界での力が使えれば、顕界でのパワーを制する可能性があるように思える。この幽界の力には、相手が自然に反応してくる摩訶不思議なものである。

それに、精妙な合気の技がある。宇宙の動きに合致したものといわれるように、自然で無理の無い技である。合気道は柔術の時代を経てきたため、武術的要素も残っており、必殺の技の稽古もやろうと思えばできる。しかし、無理がないので年をとっても続けることができるため、稽古も他の武道などと比べて40年、50年と長く続けられる。物事はある程度長くやらないと表面的にしか分からないものだが、40−50年やればなんとか分かってくるのではないだろうか。

合気道の開祖は絶対不敗であったが、開祖だけしか出来ないということでもないかもしれないし、また、誰でもできるということでもないだろう。つまりは、その人の能力と努力、そして運により、どこまで出来るようになるかということだろう。われわれとしては一生懸命稽古して、レベルアップを計ることだ。他の武道やスポーツと争うことはないが、常にそれらを想定し、隙のないように鍛錬していくことが大切だ。