【第475回】  合気道は禊(みそぎ)

合気は禊である、と大先生はよくいわれていた。当時は稽古で汗をかき、稽古の後はシャワーを浴びて、身心とも爽快な気分になったので、それが禊というものであろうと考え、確かに合気道は禊であると思ったものである。

しかし、汗をかいてシャワーを浴びて、心身が爽快になるのは合気道だけではないだろう。他の武道でもスポーツでもそれはできる。だが、禊であるとはいわないだろう。合気道には、他のモノにはない、または、目的としていない何ものかがあって、禊になるのではないだろうか。

合気道では「宇宙の魂の緒の糸筋を浄めて、気の世界・気・流体・柔体・個体の世界というように、各層をすべて浄める禊ぎのわざである」(「武産合気」)という。この禊ぎの技とは、一霊四魂三元八力の宇宙活動の姿である。この宇宙活動である宇宙の道を進み、一霊四魂三元八力の生成化育に神習い、一体化していくことが禊ではないか、と考える。

最初は、体、肉体の禊である。つまり、一霊四魂三元八力の三元である。三元とは、生産霊(△)足産霊(○)玉留霊(□)といわれるが、これを流、柔、剛と考えることにする。

具体的にいうと、流は血液やリンパなどの液体、柔は筋肉、剛は骨である。この三元を浄めていくのである。血液を浄め、肉体を柔軟にし、骨格を強靭にしていくのである。

肉体の禊は、合気道の稽古で誰でも問題なくやっているだろう。この肉体的禊、三元の禊があるから、合気道は健康法であり、老若男女に愛されるのだろう。

次に、こころの禊である。一霊四魂三元八力の四魂の禊である。四魂とは、奇霊、荒霊、和霊、幸霊である。この一霊の宇宙を創造し、その完成のための生成化育の活動のこころに神習うのである。合気の稽古を通して、この四魂を技に取り入れ、宇宙に近づいていくのである。それが禊である、と考える。

四魂の禊を合気の稽古でどうすればよいかというと、

このように、合気道は体とこころの禊ができるようにつくられているのがわかるであろう。これで、合気道は禊であるといわれているのが、理解できるはずである。

合気道の稽古を禊であると思いながらやれば、宇宙活動が身につきやすくなるだろうから、宇宙との一体化に近づきやすくなる、と考える。