合気は禊である、と大先生はよくいわれていた。当時は稽古で汗をかき、稽古の後はシャワーを浴びて、身心とも爽快な気分になったので、それが禊というものであろうと考え、確かに合気道は禊であると思ったものである。
しかし、汗をかいてシャワーを浴びて、心身が爽快になるのは合気道だけではないだろう。他の武道でもスポーツでもそれはできる。だが、禊であるとはいわないだろう。合気道には、他のモノにはない、または、目的としていない何ものかがあって、禊になるのではないだろうか。
合気道では「宇宙の魂の緒の糸筋を浄めて、気の世界・気・流体・柔体・個体の世界というように、各層をすべて浄める禊ぎのわざである」(「武産合気」)という。この禊ぎの技とは、一霊四魂三元八力の宇宙活動の姿である。この宇宙活動である宇宙の道を進み、一霊四魂三元八力の生成化育に神習い、一体化していくことが禊ではないか、と考える。
最初は、体、肉体の禊である。つまり、一霊四魂三元八力の三元である。三元とは、生産霊(△)足産霊(○)玉留霊(□)といわれるが、これを流、柔、剛と考えることにする。
具体的にいうと、流は血液やリンパなどの液体、柔は筋肉、剛は骨である。この三元を浄めていくのである。血液を浄め、肉体を柔軟にし、骨格を強靭にしていくのである。
肉体の禊は、合気道の稽古で誰でも問題なくやっているだろう。この肉体的禊、三元の禊があるから、合気道は健康法であり、老若男女に愛されるのだろう。
次に、こころの禊である。一霊四魂三元八力の四魂の禊である。四魂とは、奇霊、荒霊、和霊、幸霊である。この一霊の宇宙を創造し、その完成のための生成化育の活動のこころに神習うのである。合気の稽古を通して、この四魂を技に取り入れ、宇宙に近づいていくのである。それが禊である、と考える。
四魂の禊を合気の稽古でどうすればよいかというと、