合気道の形稽古を通して技を練り合う稽古において、腕力や体力などの力に頼ってはいけないということになっているが、これは注意しなければならない。というのは、腕力、体力、力のあることは悪いことではなく、逆にあればあるほど、強ければ強いほどよい、ということがあるからである。開祖は、力のあることが駄目だとか、力を養成することなど必要ない、等とはいわれなかったはずだし、それとは反対に「爺は、力持ちだった」と自慢されていたほどである。
合気道を修業する者は、力まないとか、力を入れない、などといわずに、まずは力一杯稽古して、力を養成すべきであると考える。
開祖がいわれたのは、力はつけよ、体をつくれ、そして、それを土台にして、それを表には出さず、心(魂)を表に出して技を磨きなさい、ということであるはずである。
そして、そうすれば、それまで養成してきた力の魄の力よりも、さらに大きい力が出るはずだし、出るようにしなければならない、といわれているのである。
魄の力とは、見える世界、物質科学、顕界、相対的なもの、等であろう。これに対して、魂の力とは、見えない世界、精神科学、幽界、絶対的なモノ、ということになるだろう。
この魄の力を、魂の力に主導権を移し替えるわけであるが、それは容易ではない。これまでやってきたことを忘れて、全く新しいやり方をするわけだし、見えないものを追及するわけであるからである。さらに、それまでの魄の力が顔を出さないようにしようとすると、それまでのような力も出なくなるので、この先どうなるか不安にもなるだろう。
しかし、開祖のいわれることを信じ、自分を信じて、魂の力を養成していくと、魄の力の限界も見えるようになるし、開祖がいわれる魂の力の無限性、超人性などが少しずつ見えてくるようになる。これまでの力は己だけの力であるが、魂の力は己以上の天地、宇宙からの力なのである。
例えば、技をかける際に、これまでは自分の力をせいぜい宇宙の営みに則った法則に則ってつかっていたわけである。それを、次には「地の呼吸と天の呼吸を頂いて」技をかけていくのである。開祖はこれを「合気はいつもいう通り、地の呼吸と天の呼吸を頂いてこの息によって、つまり陰陽をこしらえ、陰陽と陰陽とを組んで、技を生み出してゆく」(「武産合気」)といわれている。
今回はこの「地の呼吸と天の呼吸を頂いて」をテーマにする。それは、この地の呼吸と天の呼吸を頂けば、魄の力とは違う力が出て、よい技の生み出しができる、ということである。
技は、主に手と足を陰陽に組み合わせて、地の呼吸と天の呼吸で生み出していかなければならないわけであるが、具体的に例をあげて説明してみることにする。
例 1.坐技呼吸法