【第469回】  こころを禊ぐ(みそぐ)

合気道は相対で技をかけあいながら、技の錬磨を通して精進する。しかし、自分のかけた技はなかなか思うようにはかからないし、効かないものである。

長年稽古を続けていると分かってくるが、未熟な者のかけた技が効かないのは当然で、何の不思議もない。技が効くということは、自分だけでなく、受けの相手も納得して倒れることである。そのためには、無理のない理合いの技にならなければならない。

理合いの技とは、宇宙の営みの業であり、つまり、真善美であり、宇宙の法則に則っているものである。誰も初めからこの理合いの技をつかうことなどできないのだから、技ははじめからそう簡単には効かないし、初めは誰でも未熟ということになるわけである。

従って、理合いの技を身につけていかなければならないわけであるが、そう簡単ではないだろう。それは、ただ形稽古を繰り返し、長年やれば身につく、ということではないと考えるからである。やるべきことを順序よく、ひとつひとつ身につけ、積み重ねていかなければならないのである。

技を身につけるためには、先ずはそのための体をつくったり、改造していかなければならないだろう。長年使ってきた体には、各所にカスが溜まっているはずなので、そのカスを取り払っていかなければならない。

カスを取り除くことによって、体の各部位が独立して動き、そして、体全体が一つとして機能するようにするのである。例えば、指、手首、肘、肩、肩甲骨、首、胸鎖関節、股関節、膝、足首等のカスを取る。また、稽古で汗をかいて血液を浄化したり、呼吸によって肺や心臓などの内臓を浄化したり、強化するのである。

これらは、体の禊である。体の禊は、合気道では誰でもやっているようであり、実際に成果を上げているといえよう。ここまで体の禊ができてくると、技は大きく変わってくるし、技も相当効くようになるはずである。だが、これではまだまだ不十分であり、さらなる修練、次の次元の稽古に入らなければならない。

次の次元とは、心の禊であると考える。前にも書いたが、技は腕力や体力の力でかけるのではなく、心に導かれた力でかける方が効くし、また、相手を導くのも、力より自分のこころの方が効果が大きいのである。

このように己の力と体を導き、そして相手のこころ、さらには相手の体を導くこころには、それらを導くだけのものがなければならないはずである。では、どのようなこころであれば、相手のこころが同調し、その体に倒れるように指示してくれるだろうか。もしこちらのこころが相手を倒してやろう、やっつけてやろう等と思えば、相手のこころは必ず反発して、体に倒れるな、がんばり通せ、と指示を出すことになるだろう。

まず、開祖がいわれている「合気は禊である」ということを肝に銘じ、「自己のこころを直すことが合気の使命 自己自身の使命」であると信じて、技をつかうことである。

己の禊であり、また、相手の禊となれば、お互いが禊ぎをしていることになるし、二人の稽古は世の立て直しの禊であり、世の中のカスを取り除く武であり、愛ということになる。相手は喜んで協力してくれ、倒れてもくれることだろう。

しかし、技は宇宙の法則に則るものでなければならない。たとえば「天の息と地の息によって陰陽をつくって陰陽の交流によって」つかわなければならないし、「赤玉白玉に神習う」等もある。

こころを禊ぐ稽古をしていけば、技もだいぶ効くようになるが、己のこころの直り具合によって、その効き目は違うだろう。次回は、何を目標に、どうすればこころが直るのか、禊がれるか、を書くことにする。