【第444回】 時間も空間もない

人は100年前後生きて、死んでいく。誰もが、いずれ死んでいくことを知っている。しかし、人は、どうせ死ぬからといって、自暴自棄にもならずに、一層懸命に生きている。よく考えてみると、不思議である。

人が一生懸命に生きるのは、一つには、それが目的であれ、結果としてであれ、自分が死んだ後に何かを残すことだろう。例えば、会社や財産・遺産、作品や思想等々を残すことである。子孫を残す、後進を育てる、などもそうである。もちろん、名を残すこともそうであろう。

二つ目は、人は無意識のうちでは、過去や死後の未来の時間にも生きているので、死ぬ事を心配するほど気にしてないのではないかと思われる。

われわれ凡人は、明確に意識するのは難しいことであろう。だが、例えば合気道の植芝盛平開祖は、確実に時間も空間も超越していることを、確信して生きておられた。現在を生きることが、過去、そして未来にも生きるということであるから、今の一瞬々々を一所懸命に生きることが、未来を生きることにもなるので、大事である、ということになる。

開祖は、「合気道には時間も空間もない。日本の神代からの歴史は悉く自己一身のつとめの中にあるのです」(『武産合気』)といわれている。また、「植芝の武産合気は、この木刀一振りにも宇宙の精妙を悉く吸収するのです。この一剣に過去も現在も未来もすべて吸収されてしまうのです。宇宙も吸収されているのです。時間空間がないのです。億万劫の昔より発生した生命が、この一剣に生々と生きているのです。古代に生きていた私も生きていれば、現在の私もいる。永遠の生命が脈々と躍動しているのです」(『武産合気』)ともある。

このような時間も空間も超越した生き方を、人はやろう、やりたいと思い、やってきたはずである。

合気道だけではなく、例えば、モネ、ルノアール、ピカソ等の絵、葛飾北斎、写楽の版画、モーツアルト、ベートーベン、バッハの曲、運慶、快慶、左甚五郎の蔵,彫刻,弘法大師、王羲之の書等なども、時間と空間を超越している、といえるだろう。なぜならば、人類の歴史が続く限り、未来永劫、いつでも、どの地域でも、評価されるはずのものだからである。勿論、彼らは過去の先人の知恵や知識、遺産などなどを受け継いでいるわけだから、過去にも生きていることになる。つまり、時間と空間を超越したものをつくられた人たちは、超時間・超空間に生きたことになるだろう。

合気道の本部道場3階の床の間に、開祖の文字で「合気道」という立派な掛け軸がかけられている。並みの書道家には決して書けない書である、と書家がいったと言われている書である。これこそが、先述の一剣に過去も現在も未来もすべてを吸収された開祖が書かれた、時間も空間もなく、永遠の生命が脈々と躍動している遺産なのである。

この「合気道」の書は、現在の人、合気道家、日本人だけでなく、どの国の人たちにも、また、未来の人たちにも、未来永遠に感動を与える、時間と空間を超越したものであるだろう。

われわれ合気道同人は、いつでもその掛け軸を拝見できるわけであるから、幸せである。この掛け軸を観て、時間と空間を超越した技を身につけ、古代にも未来永遠にも生きる己をつくっていきたいものである。