【第442回】 形(かたち)をつくる法則

前回の第441回は、「技には形(かたち)がある。形(かたち)をつくる法則がある。」という題で書いたが、今回はその後半部の「形(かたち)をつくる法則」を、もう少し掘り下げて研究してみたいと思う。

誰でも美しい形、安定した形というものには憧れ、できれば自分もそうなりたいと思うだろう。合気道の技の形の稽古でも、そのイメージに近づこうとして稽古していると思う。イメージを与えてくれるのは、先生であったり、先輩であったり、または同輩や後輩であるかもしれない。

しかし、形だけを真似しても、その形にはならないものである。形をつくる法則をみつけ、身につけなければならない。

いつも書いているように、私の理想の形のイメージは有川師範である。この先生の形を身につけようとしている訳である。これまでも一生懸命に先生の形を身につけようとしてきたが、まだまだほど遠い。どのようにすれば先生の形をつくれるか、これまでも悩み続けたものである。特に正面打ち一教は、先生の形と自分の形に雲泥の差があるとともに、自分としては合気道の技をやっているという実感が湧かなかった。

有川先生の最晩年の4年間、有川師範の時間の稽古記録をつけていた。それを見返してみると、先生からその形の法則をいろいろ教えて頂いたことがよく分かる。正面打ち一教ができなかったのは、形をつくる法則をやってなかったからであった。

有川先生には、他の技の形(四方投げ、入身投げ等)でも、形をつくるための法則を教えて頂いたが、ここでは先生に教わった正面打ち一教での形をつくる法則を書き出してみよう。ビデオや写真もいくつか撮らせて頂いたので、その法則に合っていそうな写真も紹介する。

<形をつくるための法則>

等々

有川先生のこの正面打ち一教の形をすばらしいと思うのは、私だけではないだろう。それは、美である。美とは無駄がないことであり、それはすなわち自然であることでもある。

美には真があり、善があるから、人を魅了し、納得させるのである。この真善美を、合気道は追及しているはずである。もちろん合気道は武道であるから、武道的な要素もなければならないだろう。有川先生の美には、それも十二分に感じられるのである。

美しくなければ、合気道ではない。真善美の形をつくるために、法則を身につけて、稽古していくしかない、ということだろう。