【第441回】 技には形(かたち)がある。形(かたち)をつくる法則がある。

合気道には形はない。だが、以前にも書いたように、合気道には形がないが、合気道の技に形がないのではないと考える。なぜなら、合気道の技は宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則に則っているからである。技を形に現わすと、△○□になるともいわれている。

実際、形がなかったり、形がしっかりしていないと、技にはならない。それをつくづく思い知らされるのは、基本中の基本の形(かた)である正面打ち一教である。例えば、進める足の形、打ってくる相手の手をおさえる左右の手の形(手の位置、角度)、攻撃してくる受けの相手の後ろ足に重心がかかるようにする形、撞木の足と三角でおさえる形、受けの相手と己との十字の形、相手の手首を取る際の小指を引っかける形、最後の収めの形、そして相手から離れる形(動作)、などポイントになる形があるのである。実際には、正面打ち一教とはこのような形がびっしり集まったものであり、さらに無限の形があるだろう。

これらの形を身につけなければならないが、そう簡単には身につかないものである。それは、形をつくる法則があり、その法則でやらなければならないからである。

法則とは、誰がやっても同じ結果がでるもので、それをやれば形ができるものであり、また、それをやらなければ形にならないものである、と考える。

形をつくる法則としては、正面打ち一教で見てみると、例えば、相手の中心にまっすぐ進む、体から入る、手足を陰陽につかう、手は十字に円くつかう、息も縦横十字につかう、等がある。形が無限にあるわけだから、形をつくる法則も無限にあることになるだろう。(注:「形(かたち)をつくる法則」については、後日、もう少し詳しく研究するつもりである)

技には形があると信じるためには、技には形があるということを教えてくれる最高の技を観るのがよいだろう。そして、その見た技をイメージして、それに近づくように稽古していくのである。技の一連をイメージするだけでなく、要所々々の形もイメージし、その形を身につけていくのである。もちろん、その形は容易には身につかないだろうから、その形をつくる法則を見つけ、そして身につけていかなければならないことになる。

技の形も1年や2年で身につくものではないが、いつかはできると自分を信じて精進するしかないだろう。その内に、他の形同様、その技の形を意識せずに、無意識でできるようになるはずだ。

そうなれば、技にも形がなくなることになろう。天国にいる天使達は、自分たちが天国にいることを知らないように、技の形を身につけてしまえば、もはや技に形がないというようになるのだろう。

開祖はこの境地におられて、合気道には形はない、といわれたのではないか、と考える。

まずは、形をつくる法則を見つけ、身につけ、そして技の要所々々の形を身につけていくべきだろう。