【第414回】 魂を魄の表に 〜 その1

合気道は技を相対でかけ合いながら、練磨していく武道である。はじめのうちは、かけた技がかかったように思えるだろうが、稽古を長く続け、高段者になってくると、自分の技が効かない、効いてないということが身にしみてわかってくるものだ。

初心者や力の弱い者には技が効いて、投げたり抑えることはできるが、力の強い相手や体力のある者につかまれたりすると、技が使えないし、手を動かすこともできなくなってしまうのである。

力持ちに負けないで技を使うのは、その力持ちより力を強くすればよい。重量挙げ選手、相撲取り、レスラーなどのように、鍛えて強くなることである。これも一つの方法であるが、これは合気道の進む道ではない。相撲やレスリング、他のスポーツや武道にしても、目指す理想の道ではないはずである。

なぜならば、力という魄は若い時だけのものであり、限界があるからである。そのために、開祖がおられたころには、相撲界、レスリング界、柔剣道界、スポーツ界などの達人や要人が多数、合気道を稽古し、合気道の考え方と修行法を体験したり研究されていた。

もう一つの理由は、力と力、魄と魄では争いになり、世の中は良くならないということがあるからだ。技をかけるにも、力でやれば、相手とぶつかって争いになる。合気道は自ら争いをなくするようにしなければならないし、争いのない世界にしていかなければならないはずである。

相手に技をかけるためには、一言でいえば、質の違う力を使うことであろうと考える。

例えば、重要な稽古法である「呼吸法」(片手取り、諸手取り)で説明してみると次のような段階で、質の違う力をつかわなければならないことになる:

  1. 片手取り呼吸法:こちらの片方の腕を、相手も片方の手でつかむ場合。自分と相手は双方ともに一本の手の力を使うので、技をかける方は、腕の力を少しでも強くするように鍛えることになる。これは、初心者でよく見られるように、力と力の同質な力でやっていることになる。
  2. 諸手取り呼吸法:こちらの片方の腕を相手が諸手でつかむ場合。一本の手で相手の二本の手の力を制しなければならない。手だけでやれば、よほどの力がないと、二本の手を制するのは不可能である。従って、相手の二本の手より強い力を使わなければならないことになる。そこで、二本の手よりも強い、異質の力を使わなければならないが、それはつまり胴、体の力である。どんなに太い腕でも胴体より太くはないし、胴体の力なら二本の腕の力を制することが可能になる。もちろん、雪男や横綱白鵬などのような力持ちには通用しないだろうから、絶対ということはいえない。
  3. 諸手取り呼吸法(続):こちらの一本の手(腕)を相手が諸手でしかも、相手も胴体で持つ場合。これは、当然あり得ることで、受けもそのような持ち方をするようにならなければならない。さて、そうなると、こちらは依然として胴体と結んでいるが、一本の腕の力であり、相手が同じように胴体と結んだ二本の腕の力でつかんでくれば、相手の力の方が優勢だろう。互角か相手優勢のところで力一杯やっても、相手の力を制するのは難しいことになる。
    だいたいこの段階で力と力がぶつかり合って、争うことになるものである。そして、この段階から抜け出すことができずに、合気の道を離れていく稽古人も多いと思う。
    では、この状態を脱するためには、どうすればよいのだろうか。
    それには、さらなる異質の力が必要になる。そして、この力こそ、合気道が求めている本来の力であると考える。
  4. それは、魂の力である。それまでの魄(魄力、体力)を土台にし、魂で魄を導いていくのである。それを開祖は「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。」「魄が下になり、魂が上、表にならなければならない」といわれている。
この魂を魄の表にするとはどのようなことであるか、技ではどのようにすればよいか、は字数も多くなってしまったので、次回にすることにしよう。