【第389回】 タマフリ、タマシズメ、鎮魂

合気道は健康によい、と言われている。確かに稽古をやった後は、身心ともに爽快になる。相手を投げたり受け身を取ったりして汗をかくし、筋肉や関節を伸ばすことで体が柔軟になり、体の調子もよくなる。最初の頃は、それで気持ちがよくなるし、健康にもよいのだろう、と考えていた。

しかし、ジョッギングや水泳でも汗をかくし、体もほぐれるが、合気道の稽古ほど満足感がないのが、不思議であった。

だいたい、稽古人のほとんどは道場に来る前に会社の仕事や学校の勉強など、それぞれの社会で戦っている。成果を上げたり、上げられなかったり、勝ったり、負けたり、満足したり、しなかったりして、稽古に来ることだろう。

多くの場合は、よいことよりも問題を抱えるほうが多いのだから、意気消沈して道場の門をくぐることもよくあるだろう。そこで、なんとか意気消沈を解消したいと願うことになる。

土橋寛著『日本語に探る古代信仰』によれば、昔の人が花を見たり、山を見たりする行為は、見る人の魂を揺り動かし、強化する、「タマフリ(霊振)」の効果を期待して行われていたものだったという。「タマフリ」というのは、生命力を強化することである。

見るということには、見ることで対象物からタマフリ効果の力を得る、という意味があった。だから、タマフリを目的として、『見た』のである、という。さらに、神社で拍手を打つのも、鈴を鳴らすのも、音の波動によって空気を揺らす「タマフリ」であるし、色も波動であるから「タマフリ」をすることだ、という。

同書によれば、日本の「タマフリ」などの古代観念や古代語を実感するには、日本語の本質である“両価性”(デュアルスタンダード)を見なければならないとある。例えば、カミとカゲ(お陰様のカゲ)、イノリとイロフ(呪う)、などである。「タマフリ」の対称は「タマシズメ」であり、その両方を含めたものを鎮魂というという。

合気道では、「自己を無にして、自分は鎮魂帰神の行いにかなうように努めることであります」(『合気真髄』という。そして、「遊離の魂を自己の丹田(たには)に、集めることである。遊魂とは想い(魂)が邪霊(業想念)にとらわれて、魅かれて正守護霊からはなれて遊びにいっている状態で、これを自己の丹田に収めることを鎮魂というのです。つまり魂の緒の糸筋を淨めることです」と言われている。

合気道は魂の学びであり、宇宙組織の魂のひびきを神習うての発動である、と教えられている。つまり、技の練磨を通して、知らず知らずのうちに「タマフリ」と「タマシズメ」の鎮魂をしているのではないだろうか。だから、稽古の後に、肉体だけでなく気持ちも清々しくなるのであろう。

「見ることで対象物からタマフリ効果の力を得る」と書いたが、道場にはタマフリ効果を出すものがあるのである。それは、道場の床の間に掲げてある開祖直筆の「合気道」のお軸である。このお軸を見ると、ある人は、今までのごたごたを忘れ、稽古を頑張ろうと思うだろうし、ある人は、いろいろよい事もあったが、浮かれずに落ち着いて稽古に励もう、などと思うことだろう。

また、床の間には開祖のお写真と二代目道主のお写真も飾られており、タマフリ、タマシズメの鎮魂効果があると考える。

合気道の稽古をすると、タマフリ効果、タマシズメ効果、そして、どこかに遊びにいっている遊魂を己にもどす鎮魂にもなるようだ。その上、体が柔軟になるだけでなく、汗をかき老廃物を排出してきれいな体にし、また、生命力を強化するなど、身心を禊ぐことになるので、気持ちがよいのだろう。