【第379回】 対立の統一と全体性

深層心理学者のユングは、「われわれ人間の心はなんらかの方法によって、全体性へと向かう傾向をもっているのである」といっている。

合気道開祖も、「世の根元たる一元は精神の本と物体の本の二元を生み出し、複雑微妙なる理をつくり、全宇宙を営み、天地万有に生命と体を与え、万有愛護達成に生成化育の大道を営み、天地万有は一家のごとく一身のごとく、また過去、現在、未来は我らの生命呼吸として、人生の化育を教え、世の進化怠りなきは我らをして、楽天に、統一、また清潔に進展する」とし、全宇宙、つまり、万有万物は宇宙天国(楽天)に向かって統一すべく進展している、といわれているのである。

確かに、人は何かに向かって進んでいるように思える。時代や地域に関係なく、よいことはよいし、悪いことは悪い。そして、よいことをよりよくし、悪いことは無くそうとしている。

合気道でも、宇宙や万有万物が目指す目標、統一すべきものに向かって、修行されなければならない。

しかしながら、合気道での統一は容易ではないはずである。なぜならば、合気道での統一とは、対立の統一であるからである。合気道では、この対立は重要である。対立から引力が発生するわけだが、合気道はこの引力の養成である、ともいわれるからである。

もともとの引力は言霊から発生したと、開祖は次のように言われている。「ウは霊魂のもと物質のもとであります言霊が二つにわかれて働きかける。御霊は両方をそなえている。一つは上に巡ってア声が生まれ、下に大地に降ってオの言霊が生れるのである。上にア下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである。」

ここに、対照から引力が発生する、とあるように、対照とは対立であり、パラドックスでもある。例えば、マクロの世界や自然には、東と西、北と南、上と下、強と弱、大と小、重と軽、速と遅、また、ミクロの宇宙でもある人には、魂と魄、体と心、意識と無意識など等の他に、アニムスとアニマ、自我と影、ペルソナとアニマ・アニムス、老賢者と始源児など等がある。

合気道での対照、対立、パラドックスは、例えば、技をつかう際には、ぶつかってぶつからない、倒すのではなく倒れる、力をつけるが力を使わない、など等がある。また、武道家としては、例えば、檄(げき)と穏やかさ、厳しさと優しさ、アニムスとアニマ、自我と影など等があるだろう。

つまり、「合気というものは、初め円を描く。円を描くこと、つまり対照力」ということである。合気道では、対立するものや対照するものの片方だけでやっても、技はうまくかからない。その二つの対照がそろって、はじめて技になるのである。

また、二つの相反する対照があるので、それが円になり、対照力、つまり引力になり、相手と結ぶことになる。ここから、技が使えるようになるわけである。

対照をひとつにして円として使うのは、そう簡単ではない。まずは、対照にある片方のものでやり、鍛えることである。若いうちは、強く、大きく、重く、速く、をモットーにして、力をつけ、体をつくり、知識をつけ、そして自我を形成していくことになるだろう。

そして、年を取ってくれば、その対照のものを身につけ、対照力をつける。そのようにして、できるだけ多くの対照力、いわゆる八力を備えていく。それに加えて、自分に欠けるところのモノを補っていく。自分の欠けたところを補い、より完璧を目指し、全体性を目指すことになるはずである。

合気道は、全体性を求めなければならない。全体性は、対照力が円であるのに対して、球ということになるだろう。

宇宙が統一へ進んでいるわけだが、人も統一へ進んでいるはずである。深層心理学者の河合隼雄は、「人間の内界としてのミクロの世界は、宇宙的なマクロの世界と思いのほかに対応しているものだ」といっている。