【第373回】 理(り)

合気道の修行は一生もので、終わりはない。終わりがないということは、学ぶこと、身につけていくものが無限にある、ということである。なにしろ学ばせていただいているものが宇宙であるから、10年や20年で学びつくせるはずがない。

合気道は、老若男女誰でも容易に稽古をはじめることができるし、誰でも5年、10年と稽古すればするほど上達する。しかし、その後は稽古しても、以前のような上達がなくなってくるのが、一般的なようである。そのため古い稽古人がやめて行くようで、残念である。

5年、10年ぐらい稽古すれば、筋肉がついて体ができ、内臓も丈夫になるし、基本の技の形も覚えていくので、誰でも例外なく自分の上達を実感できるだろう。だが、この後は、同じように稽古を続けていても、上達している感じがないのではないだろうか。

あえて正直に言わせてもらえば、実際に上達していないのである。初心者や力がない相手を倒すことが上手になってはいるだろうが、それは魄の力、いわゆる腕力に頼っているだけである。それに慣れである。

5年、10年稽古をして体ができ、基本の技の形を身につけたら、次の次元の修行に入らなければならない。これまでは本格的な稽古のための準備段階で、ここからが初段の稽古、有段者の稽古ということである。

これまでは力一杯に稽古をしていけば上達していたが、ここからは「理」の稽古をしなければ上達しないだろう。理に合わない稽古をいくら一生懸命やっても、合気の道を進むことはできず、道を外れて邪道に陥ったり、壁にぶち当たってしまうことになる。

開祖は『武産合気』や『合気真髄』で、この理という言葉や、また理をつかった理道、真理、条理等などの言葉を使用して、我々に合気道を教えて下さっている。 例えば、

辞書を見ると、「理」とは物事の道筋であり、法則とあるが、合気道での「理」は宇宙の理、宇宙の法則、宇宙の条理ということである。

合気道は技の練磨によって上達していくが、その技は宇宙の条理・法則、つまり、宇宙の理を形にしたものであるから、宇宙の理を見つけ、そして身に取り入れていくことになる。要は、宇宙の理を練磨する稽古をしていかなければ、上達はないことになる。だから、ただ稽古をすればよいということではないわけである。

体も霊(こころ)も理によって造り上げられるし、また呼吸も理でおこなわれるようにしなければならない、と開祖はいわれる。合気道の行(稽古)は、天地日月の理に適わなければならないのである。

私が敬服している故有川定輝師範は、真理とは神である、と次のように言われている。「道というのは、技を極めていくという意味があるわけですね。極めることによって、普遍的なものが見えて来るわけですよ。普遍的なものというのは真理ですから。真理というのは神ですね。ある意味では」

有段者になったら、次は理の稽古に変わっていかなければならない。理の稽古に移らなければ、魄に頼るしかないので、魄の稽古をやっていくことになる。そして、力比べになり、そのうちに、体力の衰えと共に体を痛めるか、限界を感じてリタイアということになるのである。

そうならないためにも、「理」の稽古をしていきたいものである。