【第357回】 手は宇宙身心一致の動きと化す

合気道は技の練磨で精進していくが、技は主に手でかけていくものであるから、手のつかい方は大事になる。手は人の体のなかで最も自由に動かせることができるものだが、そのために、理に合わないつかい方をしてしまうことになる。そこで、手をどのようにつかえばいいのかを、考えてみたいと思う。

合気道で練磨している技には、法則がある。それは、宇宙の営みに則った宇宙の法則である。法則に則った技を手でかけるわけだから、手のつかい方にも法則がなければならない。

開祖は、手のつかい方について、「手は宇宙身心一致の動きと化さなければなりません」と、『合気真髄』の中でいわれている。

手が宇宙身心一致の動きと化すためには、まず身と心が一致する宇宙を知らなければならない。宇宙には条理があり、宇宙の法則で営まれている。法則であるから、宇宙を変えることは、人にはできない。身心に宇宙が一致してくれることも望めないから、身心を宇宙に一致させることしかない。つまり、人の身心を宇宙の法則に合わせなければならないのである。

まず、身体を宇宙の法則に則った動きにしなければならない。例えば、天の気、天地の呼吸に合わせて動く、十字に動く、陰陽交互に動く、などである。

次に、心も宇宙の法則に則って使わなければならない。例えば、天之浮橋に立った上下左右前後に隔たりのない心、相手を慈しむ愛の心などであろう。

この身と心を宇宙の法則、換言すれば宇宙の心に一致させてつかい、その動きを手に顕すわけである。そうすれば手も宇宙の法則に則った動きになる。

もちろん、体の動きと心の動きが手に伝わるためには、手も十分に鍛錬しなければならない。例えば、下肢や体幹からの動きや力が滞らないよう肩を貫く、関節が折れ曲がらないようにする、螺旋でつかう、正しい息遣いなどなどである。

合気道での技の練磨において頭を悩ますのは、学校のテストと違って答がないこと、その上に、問題もないことである。問題も答えもないわけだから、うっかりしていると、自分がやりたいように稽古をしてしまうことになる。そうすると、後で何をしていたのか分らなくなってしまうことになる。

稽古では、まず、問題を見つけることが必要である。ある段階以上になると、誰も問題を教えてくれないから、自分で見つけるしかない。

自分で問題を見つけられるようになると、あとは楽になるだろう。しかし、今度はその答えを見つけなければならない。そして、答えを見つけても、それが正解なのかどうかは分らないだろう。

今回の「手が宇宙身心一致の動きと化している」かどうかは、上記の理合を踏まえ、技でやってみて、それが正解かどうか自分で判断するしかないだろう。自分で正解と思えば、だいたいは受けを取ってくれた相手、それを見ている第三者も正解と認めるようである。

例えば、「諸手取り呼吸法」でこの「手は宇宙身心一致の動きと化す」を意識してやると、これまでとは違った異質の力と結果が出る。受けの相手は気持ちよさそうにくっついて離れず、こちらの思うままに軽く動いてくれる。

これが、宇宙身心一致の動きと化した手つかいの正解ではないだろうかと思う。もちろん、完璧なものでないので、さらに稽古を続けて改良していかなければならない。だが、大事なことは、この手のつかい方が基本的に正しいかどうか、ということである。正解なら下手でもよいから、あとは稽古を続けるだけだ。

今さらながら、合気道の技は宇宙の営みを形にしたものである、と再認識する次第である。開祖がいわれている「宇宙の真理のごとくは技に表わすことができます」(「合気真髄」)を熟読玩味し、技の練磨を深めていきたいものである。