【第354回】 合気道の極意の愛とは

合気道を修行している人は、目標に向かって日々精進しているわけだが、自分が目指している目標が正しいのか、この道はその目標につながっているのか、どちらの道を進めばよいかなど、常に迷いながら稽古に励んでいるはずである。

修行者の多くが迷い、悩み、考えなければいけない重要で難解なものがあり、その解決が容易ではない共通のものがある。それを解決してくれるものを「極意」という、と考える。共通する重要で難解な問題には大小あるから、「極意」にも大小あるだろう。

「極意」は、極意の通りにしなければ、決してその課題は解決されないし、先へ進めない、という絶対条件でもある。たとえば、技がうまくつかえないときの極意としての「技は十字でつかえ」は、一つの「極意」であろう。これを、どちらかと言えば小さい「極意」であるとすれば、大きい「極意」、おそらく最大の「極意」は、合気道の目標達成のためのものだろう。このためには、合気道とは何かという「極意」が必要になるだろう。

開祖は、「合気道の極意とは、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることである」(「合気真髄」)と言われている。
これを分析してみると、合気道の目標達成のためには、

  1. 己の邪気を払わなければならない:
    己の邪気をはらい、心を清くすることである
  2. 己を宇宙の動きと調和させる:
    宇宙の法則に則った技づかい、体づかいをして、技の練磨をしていかなければならない 
  3. そして、己を宇宙そのものと一致させる:
    宇宙森羅万象の活動(例えば、四季、天地の息)と調和する
つまり、合気道の「極意」は「己を宇宙そのものと一致させる」ことになる。

といっても、「己を宇宙そのものと一致させる」ことも容易ではないわけだが、開祖はそのために、「宇宙の心を、己の心としなければならない」と言われている。これも「極意」と言えよう。なぜならば、「宇宙の心」がわからなければ、先へ進めないので、必須条件であるからである。しかし、「宇宙の心」は極意であるから、難解である。

しかし、有難いことに、この「宇宙の心」を、開祖は「宇宙の心とは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる『愛』である」と教えられている。つまり、「宇宙の心」とは、宇宙の偉大なる「愛」というである。

これをまとめて解釈してみると、「合気道の極意は、己の心を宇宙の心である『愛』にしなければならない」ということで、己を宇宙と一致させ、宇宙の心の愛で稽古をし、生活しなければならない、ということであろう。

しかし、ここには「愛」という言葉がつかわれているが、この「愛」は日常つかわれている「愛」とは違うようである。

次回は、ここに出てくる重要な言葉「愛」について、もう少し研究し、書いてみたいと思う。