【第35回】 手を掴ませる

合気道の技には、手を掴ませてからやるものが多い。他の武道にはない特殊な稽古法と言える。
手を持たれた状態から技をかけるので、空手やボクシングなどの突きや蹴りに対応できず、意味が無いのではないかと考える人も多いようだ。

しかし、この手を掴ませることには、重要な意味があるのではないか。その人がどれくらいの腕前であるかとか、どれくらい力があるかなどを容易に知る方法として、昔からまず腕の太さと形を見ることがある。そして、もっと正確に分かろうとするなら、腕を掴んでみることである。腕相撲も、握手をするだけでも相手の力量が分かるといわれる。

戦前、満州の武道会理事をされ、後に一時、合気道に入門された元大関の天竜さんが、満州での武道大会で模範演武を終えたあと、開祖植芝盛平翁の手を掴んだ途端、まるで鉄棒を掴んだようだった、と言われていた。

また、『古事記』には、建御雷神(たけみかづちのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)が、出雲にある伊那佐の小浜で力較べをし、建御名方神(タケミナカタ)の 神が建御雷神の腕を掴んで投げようとした描写がある。その際、建御雷神が手をツララへ、またツララから剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった、とある。手乞いである。この手乞い、手を掴む、これが相撲や大東流合気柔術の起源ともいわれる。

本来、人間は相手の力を評価する場合、手を掴む習性があるようだ。また、力ではなく、相手を知るにも、手に触れるのが手っ取り早い。西洋社会では挨拶に握手をするが、その意味もあるのだろう。手は第二の脳ともいわれるが、手には鋭敏な感覚がある。体のアンテナの役割もしているのだろう。

合気道の稽古では、呼吸力、むすび等が重要であるが、これらを会得するのは手を掴ませて稽古するのが最良の方法なのだろう。逆にいえば、この鋭敏な手を使う以外に、これを会得することは難しいだろう。

手を掴ませるには、もう一つの意味がある。合気道の稽古は、相手を導いて、相手の動きたいように動かせてやれ、という。相手を導くには気を発することも重要であるが、手で導くのが一番である。この導く手を、相手が掴んでくるのである。技をかけるにあたって手を出したり、正面打ちの場合など、手先は相手の急所、急所をむすぶ軌跡を描くので、相手は本能的にその手を掴むことになるのである。