相対稽古をしていると、かけた技がうまくいくときと、そうでない時がある。入門した頃や白帯の間なら、技などかからなくても当然だが、10年、20年と稽古を続けているのに、同じ技をやっても、また同じ相手でも、時によってうまくいったりいかなかったりするものだ。時には、白帯が相手でも手こずったりする。これが、これまでは不思議であった。
うまく相手を制することができない大きい理由としては、二つあるようだ。ひとつは腕力に頼ってやること、二つ目は「心」の使い方である。
腕力に頼ってやると、相手の体が防御反応や拒否反応を起こして、相手の体と結ばず、弾いたり逃がしてしまうため、合気にならない。腕力で倒すなら、相当強力な腕力を身につけることである。
二つ目の「心」の使い方であるが、心の使い方次第で、相手が腹を立てたり、不満から反抗心を起こしたりすることもある。そうなると、初心者に対してさえも、なまじの技ではかからないものである。
今回は、この二つ目の「心」の使い方について考えてみたいと思う。
心が相手をやっつけてやろう、きめてやろう、痛めてやろう、恰好いいところを見せよう等と思っていると、相手は必ず反発したり抵抗してくる。まず、相手の心が反発して、そして体が反抗してくるのである。そうなると、よほど力の差がなければ、技などかからないものだ。
開祖は、技をかける際には心が大事であるといわれている。「心で導けば肉体を傷つけずして相手を制することができる」(「合気真髄」)と言われているのである。
では、どのような心で導かなければならないのか。それは、合気道的にかっこよくいうと、「愛」の心といえよう。
愛とは、相手のことを思うこと、相手の立場に立って考え、動作することであると考える。従って、相対稽古で技をかける場合には、