【第340回】 言葉の整理

論文を書き続けて、今回で340回を迎える。一年に50回程書いてきたので、7年弱書き続けてきたことになる。当初は合気道のことでもほとんどわかってなかったことがあったと、今になってわかってくる。あと数年経てば、さらに分かることも増えるだろうし、あるいは、まだまだわかってないことが沢山あった、と思うかもしれない。しかし、かつては分かってなかったと思えるのは、幸せであるともいえよう。そう言えるだけ、進歩したことになるからだ。

さて、この項は「合気道の思想と技」をテーマに書き続けているわけであるが、これまで大事な言葉をよくわからないままに平気でつかってきたものだと、最近になってつくづく思う。

大事な言葉のひとつは、なんといっても「合気道」である。われわれは合気道を修行しているわけだが、合気道という言葉の意味を知らなければ、本当の合気道の稽古はできないはずである。合気道の解釈はおそらく人によって違うだろうから、合気道という言葉の意味も違っているかもしれない。が、いずれにしても自分なりに合気道の意味を知らなければならないだろう。

合気道とは、合気の道、気を合わせる道、と解することができる。では、「気」とは何かというと、私は宇宙エネルギーと解釈している。だから、「合気」は宇宙エネルギーと自分を結ぶこと、つまり宇宙との一体化である。「道」とは、何かを極めていくという意味があるから、宇宙との一体化を極めていくこと(方法、手段)、ということになるだろう。従って、「合気道」とは、宇宙と一体化を極めるための道、ということになる。

これまで何気なく使ってきていた「合気道」という言葉を整理してみたが、この他にも、無意識でつかわれている大事な言葉が数多くあるだろう。一度それを意識して、整理してみなければならないと思う。整理しないまま、無意識で何気なく使っていけば、過ちを犯したり、上達の妨げになるはずである。

例えば、「小手返し」である。「小手返し」は、小手を反して倒す技であるが、小手がどこであるかわからなければ、返すことはできないし、技もかからない。小手を知らないと、手首をいじめるだけの「手首いじめ」になってしまうのである。小手を知らなくていくら稽古を続けても、小手返しの上達はあり得ない。

もうひとつの例をあげると、「武道」である。これは「武」の「道」ということになるが、そのためには「武」とは何かがわからなければならない。「武」とは、一般的には「戈(ほこ)を止める」「争いを止める」といわれている。

しかし、合気道で言う「武」は、その上に、宇宙生成化育の妨げになるものを排除する、という意味がある。例えば、開祖は、合気道の稽古をして血液の流れをよくすること、さらに、虫が地をきれいにするのも「武」である、といわれているのである。従って、「武道」とは、宇宙楽園を創造する万有万物の生成化育にとって、弊害、邪魔となるものを取り除く修行法(道)ということになるだろう。

合気道の技(技の形)の名前、そして開祖が残された名著『武産合気』や『合気真髄』などに出てくる神様などの名前、古事記に出てくる言葉などなども、整理していく必要があると思っている。