【第326回】 一霊四魂三元八力の稽古

長年合気道の稽古を続けていると、ある時点から上達が止まってしまうものである。いわゆるスランプの時期であるが、ここから抜け出すのは容易ではないようだ。しかし、抜け出してしまえば、どうしてスランプに陥ったのかがわかるし、不思議でもなんでもないことで、当然そうなったことが分かる。

スランプに入るまでは稽古すればするほど上達したものが、ある時点から上達が止まってしまうのには、原因がある。一言でいえば、合気道が何か、合気道の目標は何か、などが分からず、また本当に分ろうとしないことである。

上達するには合気道の原点、つまり、合気道の創始者である開祖に戻らなければならないと考える。

例えば、開祖は「合気道とは和合の道であります。即ち一霊四魂三元八力の生ける姿、宇宙経綸の姿、即ち、高天原の姿であります」といわれている。これが合気道なのである。

また、「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう」ともいわれている。がむしゃらに稽古を続けていても本当の力は出ず、上達はないことになる。

合気道は技の練磨を通して上達するわけだから、技の練磨のために上達するには、本当の力を出していく必要がある。そのためには、呼吸や合気も大事だが、今回は「一霊四魂三元八力」の重要さを研究してみたいと思う。

「一霊四魂三元八力」は「大神の営みの姿」であります、といっても、具体的に稽古に取り入れるのは難しいだろう。学校の試験の解答ではないのだから、頭でわかっただけでは駄目で、もっと実際的に稽古で身につくようにしなければならない。そのため、合気道の上達を望む稽古人として、一霊四魂三元八力を解釈したいと思う。

一霊四魂とは、心体のうちの心と心の働きであると解釈できる。心があって、心が4つの働き、つまり奇霊(くすみたま)、荒霊、和霊、幸霊に働くのである。宇宙の万物はその一霊四魂で構成されているという考え方が、古神道や神道である。奇霊は天で、幸霊は地の緯(縦)、荒霊は火で、和霊は水の径(横)であるが、それが十字となり、螺旋で動いて、万有万物を創造しているという。

これを稽古に取り入れるならば、先ずは正しい心、一元の大神様の心に繋がった心で、天地の呼吸に自分の心を合わせ、時に荒霊で激しく、時に和霊でやさしく稽古し、激しさを増していくことにより荒霊を育て、そしてやさしさを更にやさしくすることによって和霊を育てていく。

そして、この荒霊と和霊が十字で結び、荒霊と和霊が表裏一体となるようにするのである。それを技に使えれば、厚みのある、本当の技が出てくるだろう。

三元八力は、心体のうちの体をつくり、完成させていくものと考える。三元とは、気と流、柔、剛である。合気道では△○□ともいう。この三元八力が固体の世界を造り、人類社会もそれによって完成されてゆくといわれる。

これを稽古に取り入れるためには、体をつくるために、流、柔、剛の稽古をすることである。しかし、順序として剛の稽古からしなければならない。はじめはしっかり持たせたり、打たせる稽古をしなければならない。

先ずは、剛の体をつくることである。しっかりした体ができたら、柔らかく体をつかうような稽古にしていけばよい。そのためには、末端の手先からではなく、腰腹からの力をつかうようにしなければならない。

その後は流の稽古であるが、これはよほどの域に達しないと出来ないことである。かつて我々稽古人が流の稽古をしているのを開祖に見つかると、まだ早いということで大目玉を頂いたものだ。だから、いつになったらできるのか、どのようにすればよいのかはまだ分からない。

おもしろいことに、稽古は剛、柔、流の順でやらなければならないが、体は逆に気と流、柔、剛とつくられるようになっている。

次に八力であるが、体には八力という働きがあるという。八力とは「動、静、引、弛、凝、解、分、合」の八つの力であり、これらの力は動と静、引と弛、凝と解、分と合と対照的である(本田親徳)」という。だが、八とは沢山ということで、八力とは多くの力ということだろう。力が八つしかないはずはない。

八力の対照から、引力が出てくる。開祖は、「この三元八力の引力によって、大地を全部固めしめて、一つの大きな全大宇宙という活動機関が出来上がった(武産合気)」と言われているのである。

合気道は引力の養成ともいわれるわけだから、この八力を鍛えていかなければならない。つまり、八力とは引力ということにもなるし、この力こそ合気道が求める呼吸力ということになるはずだ。そして、この呼吸力こそが合気道での“本当の力”だと考える。

開祖は「自分で八大力の修行をして、陰陽を適度に現わし、魂の霊(ひ)れぶりによって練磨し、この世を浄めるのです。」といわれている。八力は自分で身につけるしかないが、陰陽でもあるということであり、それを魂のひれぶり(邪心をはらい清めた精神状態)で練磨していかなければならないのである。

一霊四魂三元八力の稽古をしなければ、本当の力は出ないはずである。スランプを脱し、新しい次元で稽古するためには、一霊四魂三元八力の稽古をしなければならないだろう。