【第314回】 合気道は律法

合気道修行の究極の目的は、宇宙との一体化であると考える。開祖がそのようにいわれてのだから、間違いないだろう。

目標が決まれば、それに向かって進まなければならない。そうなると、目標に到達するため、または目標に少しでも近づくためにどのような稽古をすればよいのか、しなければならないか、ということになる。

合気道の技は、宇宙の条理、宇宙の法則に則ってできている、と教わっている。例えば、宇宙万物は、天火水地の十字の交流によって生みだされる言霊の響きによって生成されたとされる。そして、「技は、すべて宇宙の法則に合していなければならないし、宇宙の法則に合していない技は、すべて身を滅ぼすのである」といわれる。

「合気道は神習い、宇内万有万神の条理を明示する律法である」(以上「合気真髄」)から、ただ稽古を積み重ねればよいということではない。律法に反すれば上達はないだろうし、悪くすれば体を壊すことにもなるのである。

では、どのように合気道の稽古をしていかなければならないことになるのか。まず、開祖や吉祥丸道主が残された合気道の技の形稽古を練磨していくことである。この中には、宇宙の営みとしての宇宙の法則である技が凝縮されているはずである。

宇宙には、確かに法則がある。宇宙に法則があるから、科学される。法則があるから、何年も先の日食や月食が計算できるし、星の運行、宇宙の年齢や宇宙の構成要素などがわかる。小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「いとかわ」に着陸して地球に出来る。法則がなければ、宇宙の生成化育もできないし、人類も生存できないはずである。

問題は、その技の形のどれが宇宙の法則の「技」であるか、ということが分からないことである。一教や四方投げの中にその技が確かにあるわけだが、これが技であるということが難しい。しかし、何とか技を見つけていかなければならない。

これが技であろうと見つけたとしたら、技の場合に、一つだけ確実にいえることがある。それは、法則性を有しているということである。その技は一教でも四方投げでも使えるし、誰が、誰とやっても有効であるはずである。例えば、手を十字に反しながら使うことである。先述の「宇宙万物は、十字の交流によって生成された」という、宇宙の十字の法則の技ということになる。この十字を、片手取り呼吸法、もろ手取り呼吸法、坐技呼吸法などで試してみると、確かに法則性がある技であると実感できるはずである。

このように合気道は形稽古で、宇宙の法則を見つけ、試し、身につけていくことであろう。これを技の練磨というはずである。

技を練磨し、技が身についてくると、宇宙の法則、律法、条理が身についてくることになり、最後には宇宙の営みの心体になり、宇宙そのものになる、つまり、目標である宇宙との一体化ということではないかと考える。