【第312回】 合気道の究極的な悟りとは

合気道の修行は、ある目標に向かって精進することである。もちろん日常生活でも、何かの目標に近づきたいと思いながら生きているだろう。この日常で考えても難しいと思われることを、合気道に解決を求めてくる人も多いはずである。

合気道をしようがしまいが、人間には知りたいことがあるし、解決したいことがあるはずである。例えば、自分というものはどこからきて、どこへ行くのか。自分とは何者なのか、自分は何事をなすべきなのか、等である。

日常生活にはいろいろなしがらみがあるので、このような事を追求するのは容易ではない。それ故、俗世界とは違う別世界で、探求することになるのだろう。

禅などは、その典型的なものと思われる。禅では座禅を組み、公案と取り組み、問答したりして、一つ一つ解明していく。それが悟りとなるが、悟ればそれで終わりではない。悟りは、一度だけ悟ればいいわけではない。次の課題が待っている。特に重要な、次元が変わるような悟りを大悟というのだろう。

禅における悟りは、悟ることはもちろんのこと、悟りとはどういうことか、またどうすれば悟れるのかは、説明するのも難しいといわれる。だから、禅は不立文字といわれる。

合気道でも、その探求はできると教えられた。開祖は「悟るということは、自分にあるので、自分の腹中をよく眺め、自分というものはどこから出てきたものであるか、また自分は何事をなすべきか、よく自分を知るということが自分に課せられた天の使命であります。」といわれている。

また、合気道では、我々人間も万有万物は一元の大神につながっているし、すべてが果たすべく役割、つまり天命をもっているといわれるので、それを果たさなければならないといわれる。

禅で探求していることを、合気道では稽古を通して精進しているのである。高名な禅の大家である鈴木大拙(だったと記憶しているが)が合気道を見て、「合気道は動く禅」であるといったというのは、座禅で探求していることを、合気道では技の錬磨を通して探求しているということだろう。

禅はよく知らないが、合気道はそこまでの悟りでは終わらない。さらなる、また、究極の悟りを得なければならないのである。なぜならば、合気道の目標は宇宙との一体化であるといわれているからである。

開祖が宇宙と一体化されたことは、かの有名な「黄金体」で知られている。朝の散歩をされていると、突然天地が動揺し、体は黄金体化し、心身共に軽くなり、小鳥の声の意味もわかり、そしてこの宇宙を創られた神の心が、はっきりと理解できるようになった、といわれているのである。

これから、宇宙との一体化とは何かを考えてみることにする。今の自分のレベルで考えられるのは、宇宙との波動の同調ではないだろうかということである。目、耳、感覚などだけでなく、万有万物は波動を出し合い、波動でつながり合っていると考えられる。開祖の黄金体のご経験でも、開祖から発せられた波動と宇宙からの波動が同調し、開祖は宇宙との一体化をされたのではないだろうか。この波動を開祖は「ひびき」とか「やまびこ」などといわれたのではないかと思う。

これは、大変なことである。我々常人が容易にできることではない。ここまで一度でも経験できたら、どんなに嬉しいことだろう。

しかし、開祖はこの突然のご体験を究極的な悟りとはせずに、さらなる修行へと進んでいかれた。それは、宇宙との一体化を突然や偶然ではなく、自由自在に行うことである。そして結局、それを自由自在にされたわけである。

従って、宇宙との一体化をいつでも自由自在にできるようになることが、合気道の究極的悟りということになるだろう。これを、開祖は「この山彦の道がわかれば合気は卒業であります」といわれているのだと考える。