【第311回】 真の合気道

合気道の一般的な稽古は、道場での相対稽古である。二人が技をかけ合い、受けを取り合いながら、精進していく。正面打ちや片手取りの一教、二教、四方投げ等の形を繰り返し繰り返し稽古し、技を磨いていくものである。これを、我々稽古同人のほとんどが合気道だと考えて、稽古しているはずである。

しかしながら、合気道を創られた開祖は、これも合気道には大事ではあるが、真の合気道ではないといわれているのである。

つまり、我々が常日頃、稽古をしているような、例えば、正面打ち一教や四方投げは、真の合気道ではなく、真の合気道のための準備であるといわれているのである。これを開祖は、「合気道の技の形(例えば、正面打ち一教や四方投げ)は、体の節々をときほごすための準備です」といわれているのである。

我々が励んでいる稽古は、体の節々のカスを取り除き、柔軟な体をつくり、そして、宇宙の法則に則った技に身を入れ込むことであり、これは合気道の真の目的をもった真の合気道への準備であるということである。

では、真の合気道とはどういうものか、ということになる。それは、開祖が言われていることを研究するしかないだろう。

開祖は真の合気について、『武産合気』で次のようにいわれている。
「天台に立って、東天に向かって礼拝する。地球の中心に立って、天地万有万真と共に打ち揃って、そして感謝を捧げる祈りである。これが真の合気道である、武産である。これがごく調和のとれた水火の息と息との交流の根源をなしているのである」。

これを文字通り解釈すれば、合気道修行の最終段階は祈りということになる。今のようにドタバタ技の形稽古をせずに、みんなで厳粛に祈ることになる。しかし、形稽古をしている道場が、祈りの道場になることはないだろう。

開祖は、真の合気道についてのご説明を、祈りを例として取り上げられたと考える。だから、ただ祈ればいいということではない。祈りというものにある、見えないものを見、感じ、調和することが大事であるということのはずだ。そのために我々にわかりやすくイメージできる形の祈りでご説明されたと考える。

では、上記の開祖の文章で何が大事かというと、祈ることによって、この世を創られたイザナギの神・イザナミの神のご活動の「ごく調和のとれた水火の息と息との交流」を感得し、それと調和し、一体化することであろう。 つまり、これは常々開祖がいわれている「宇宙との調和、一体化」と同じことであるはずである。

これ以外にも、開祖は真の合気道とは何かを示唆されている。
例えば、

形稽古で、強いの弱いのというのはいい加減にして、そろそろ真の合気道に向かいたいものである。